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グループサウンズ時代の記憶はないけれど、ガチャピンの赤い相棒が鈴木ヒロミツ氏になんとなく似ていた。
なんのかんのといいながら僕たちの年代が良く見ていた初期角川映画では、チョイ役ながらも印象的な役どころで出演。
「白昼の死角」の石部金吉の梶クンも忘れがたい。
今からうんと昔のことですが、根津の茶店で「ここの煎餅は美味しいんだよ」と声をかけられたことがあって、お店の人にその人が鈴木ヒロミツ氏であったことを告げられた。
僕は「へえ~!」と驚嘆したけれど、それだけに普通のカンジの方でしたね。
最近も衛星放送テレビや番組レンタルで元気な姿を見ていたのですが、残念。
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■長男呼び…鈴木ヒロミツ氏死去(「スポーツニッポン」3月15日6時6分配信)
1960年代のGSブームで活躍した「ザ・モップス」の元ボーカルで俳優の鈴木ヒロミツ(すずき・ひろみつ、本名弘満)さんが14日午前10時2分、肝細胞がんのため東京都千代田区の病院で死去した。
60歳。
東京都出身。
今年1月初旬に末期がんで余命3カ月との宣告を受けた。
自宅で療養していたが13日に入院。
夫人と長男の雄大(ゆうだい)さん(20)にみとられながら、眠るように旅立った。
鈴木さんが最後に発した言葉は、大学2年生になる一人息子の名前だった。
14日朝、意識が薄れ始める前、「雄大、雄大」と何度も呼んだという。
その後も夫人と雄大さんの呼び掛けにうなずくなど、息を引き取るまで最愛の家族とコミュニケーションを取り続けた。
大の子煩悩で、昔からラグビー観戦などに親子で出掛けることが多かった。
雄大さんの趣味の音楽についても語り合っていたという。
葬儀では雄大さんが喪主を務める。
腹痛などの体調不良を訴えたのは昨年12月末。
年明けに都内の病院で検査を受けたところ、末期の肝細胞がんで余命3カ月と判明。
家族とともに宣告を受け、別の2つの病院でも診察を受けたが結果は変わらなかった。
「入院して延命をはかるより家族と過ごしたい」と強く希望し、自宅で療養を続けた。
痛み止めを服用しながら週に1度、通院。
入院した13日も通院日で、夕方まで訪れる見舞い客にしっかり応対していた。
所属事務所ホリプロの関係者は「病気が分かった後は運命を受け入れて穏やかに過ごしていた。家族や周囲の人に最期まで気を使っていた」と説明。
「音楽も食も、好きだった野球も、人生を楽しみ尽くした人だった」と話した。
「芸能界一の胃袋」を自負し、「食わずに死ねるか!」の著書もあるほどの食い道楽。酒豪でもあり、12月末に腹痛を訴えるまで大病をしたことはないというほど健康には自信を持っていた。
12月19日までフジテレビのドラマ「新美味しんぼ」(1月に放送済み)の収録に参加。
同20~23日には大分県で、九州のローカル局の番組収録を元気にこなしていた。
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