音戸大橋と清盛塚
音戸の瀬戸は平清盛によって開かれました。今を去ること八百余年前、わずか1日で開削したと伝わる。日が沈もうとすると扇をもって呼び戻しました
彼の遺徳をしのぶ清盛塚は、清盛の死の3年後(1184年)に建立されたと伝えられる。塚の中央には宝篋印塔がたっている
今は、二つの真っ赤な音戸大橋がかかり、素晴らしい景観を見せています。
船の往来が激しい。
南の出入り口方面の景色
第一大橋の上から見た第二大橋方面(北)の景色
清盛塚 参拝橋
昨年の2月に瀬戸を通過しようとした貨物船が「参拝橋」に衝突した。橋は大破して現在は塚の正面まで行くことはできません。
▽ 2年前に撮った写真…白い部分が参拝橋
隠渡(おんど)
橋の南には隠渡という地区があります。音戸という地名の由来の一つになっている。それでは、隠渡の地名の由来はどうなのでしょう…^^。
諸説ありますが、瀬戸が開削されるまでは干潮時に砂州が現れ歩いて渡ることができたことから隠渡と呼ばれるようになったという説が一つ。
もう一つは、平家の落人たちが隠れ忍んで世の中を渡った「隠渡」を起源とするものがあります。昔々のロマンです^^。
音戸の船唄
♪ 船頭可哀や 音戸の瀬戸で
一丈五尺の櫓がしわる ♪
「暗礁や渦巻く流れは内海でも屈指の難処であった。この瀬戸を上り下りした船頭衆の間に生まれ今日に歌い継がれる民謡…」
音戸ちりめん
音戸の名産で私の好物です
- つづく -