森鴎外旧宅

殿町から「思索の路コース」を歩いて約15分の所にあります。

鴎外(林太郎)は1862年藩医(50石)の嫡男として生まれた。

 

藩校の養老館に学ぶが秀才だった。

1872年、満10歳の時に上京するまでこの家に住んだ

 

 

門を入った庭先に銅板の詩碑があった。

鴎外が日露戦争従軍中につくった…

「うた日記」の中の「扣鈕」の詩を佐藤春夫が揮毫したものです

 

南山(なんざん)の たたかひの日に
袖口の こがねのぼたん
ひとつおとしつ
その扣鈕(ぼたん)惜し

べるりんの 都大路の
ぱつさあじゆ 電燈あをき
店にて買ひぬ
はたとせまへに

 

家は外観から想像したよりも広く…

沢山の部屋があります

 

 

 

裏側に隣接して森鴎外記念館があります

 

 

西周旧宅

森鴎外旧宅とは津和野川を挟んだ向かい側にある。

21歳まで暮らした家です。

1829年生まれですから鴎外よりも33歳年長。

仲良く遊んだ幼友達ではなかった^^

 

「哲学」「感覚」…は彼の考え出した言葉(訳語)だそうです。

家は茅葺のように見えます。修復工事中でした

 

 

 

 

城への登り口

城山の麓を帰ってきました。

「大手登山口」

侍衆は、(リフトを使うことなく^^)ここから登城していた

 

 

藩邸跡

南北300m、東西140mの広大なものだった。

今は津和野高校の敷地となっている

 

物見櫓

藩主が祭礼等の催し物を見物した櫓。(近くから移設された)

 

馬場先櫓

藩邸の櫓が現存しているのは珍しいらしい

 

藩邸(藩庁)正門のあった場所

説明板の絵を添付

 

 

 

津和野川

「大橋」の上からの眺めです。

清流津和野川には大きな鯉やウグイが泳いでいる!

(見落としてしまった)

 

森鴎外はこの橋を渡って藩校・養老館へ通っていた

 

津和野の旅日記は今少し…

つづきます

歩く歩く歩く