掘割と鯉

殿町通りは武家の住む町だった。

掘割には大きな鯉が泳いでいる。丁度タイミングよく花菖蒲も咲いていた。

パンフレットの写真通りです^^

 

 

 

津和野カトリック教会

殿町通りに入ったとたんに美しい教会が目を引きます。

この建物が出来たいきさつを簡単に記します。

 

明治1年~2年に長崎でとらえられた沢山の隠れキリシタンは藩外各地に流刑となり改宗を迫られた。

津和野藩にも153名が連行されてきた。厳しい拷問も加えられ最終的に37人の殉教者をだした。

(新政府は明治6年になって禁教令を撤廃しました)

 

このことを忘れないようにとキリスト教関係者によって建てられたものです

 

ステンドグラスが…

とても綺麗だった!

 

 

教会に隣接して「乙女峠展示室」がある。

乙女峠とは信者たち受難の場所です。

(あとで現地を訪れました)

 

 

明治新政府が6年間もキリシタン禁制を続けていたとは…

知りませんでした

 

 

津和野町役場

さて、引き続き殿町通りを歩いています。

津和野町役場は大正8年(1919年)に郡役所として建てられた。

今でも町役場分庁舎として現役です。

 

表門は家老・大岡家の正門だったものが利用されている

 

 

 

 

多胡家老門

多胡家は旧津和野藩の筆頭家老を江戸期を通じて務めた。

敷地は、JRや道路の新設の為に分断されているが門の位置は旧来通り。

残念ながら修復工事中だった。

 

まんが「釣りバカ日誌」に、

多胡専務が出てくるのを思い出しました^^

 

 

(△ 説明板の写真の写真^^)

 

 

 

藩校 養老館

津和野藩の藩校として1786年に創設された。

11代藩主の亀井茲監が1849年に規模を拡大して人材育成に力を入れた。

 

近代日本哲学の祖・西周(にし あまね)や文豪・森鴎外…等、後に全国に名をはせた数多くの人物が学びました

 

 

 

津和野の旅日記は(稿を改めて)つづきます

 

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