亀居城
1977年(昭和52年)に大竹市による公園整備調査中に地面の下から姿を現した城です。約400年の眠りから覚めた。
関ヶ原の戦いで防長二州に減封された毛利氏の後に広島城に入った福島正則によって築城された。5年かかって1608年に完成するも、3年後には破却された。その理由は謎のまま…。
一国一城令の4年前のことです。
城山の標高は88m。5年振りの「登城」です。
右に墓地が見える。ぼちぼち登ってゆきます^^
「大手門」
ではないようですが…
この辺りから本格的な石垣がはじまっている
「名古屋丸」
福島正則は故郷が恋しかったのかな^^
「松の丸」
石本美由起
「矢切りの渡し」「悲しい酒」「長良川艶歌」…沢山のヒット曲で知られる作詞家の石本美由起は大竹市の出身です。
「詩の坂道」
ある時は笑顔で登り ある時は涙で下り
生きて来た遠い坂道
歳月の旅に咲かそう かずかずの詩の花びら
石本美由起
「柿の木坂の家」
♪ 春には柿の花が咲き 秋には柿の実が熟れる
柿の木坂は駅まで三里
思いだすなア ふる里のヨ 乗合バスの悲しい別れ ♪
曲輪がつづくのですが…
石垣沿いに登ってゆきました
石垣
石垣のほとんどの石は島や海岸から莫大な労力をかけて山上に運び上げられたもの。刻印は、石の出荷を厳しく督励するために請け負った者ごとに彫らせたようです。
亀居城の場合はその種類が多いのが特徴
「歌と故郷と思い出と」
石本美由起
人それぞれの人生を描いて生きて五十年
残り火燃やす今日の日の
盃、乾してしみじみと
幾歳月を語ろうか 歌と故郷と思い出と
桝形
敵の侵入を困難にするために設けるのが桝形です。詰めの丸から二の丸への入り口、二の丸から本丸への入り口は鍵の手に折れ曲がった構造になっていた
本丸
本丸です。11の曲輪があり城の規模は10町歩(992アール)に及ぶ。支城としては大規模なものを築いたものです。
400年ぶりに眠りを覚ませた亀居城。つわものどもが夢の跡です
立派な天守台
中央遠くは大竹市阿多田島
↓ 見えにくいのですがイメージのみ
城の取り壊しは天守台の4隅を崩すことのみで終わっていた。福島正則の反骨心か…^^。このことが今になって幸いしました。
城の名前は城地の形が亀に似ていたことによる