入船山記念館
明治期の日本は近代国家として欧米列強に渡り合うための海防力を備えることが急務だった。この為に横須賀・呉・佐世保・舞鶴に近代的な軍港を整備することになった。
海軍はこれらの4ヶ所に鎮守府と先端技術を集積させた工廠を併設して日本の近代化を推し進めることとなる軍港都市を誕生させました。
4市は「日本近代化の躍動を体感できるまち」として日本遺産に認定されている。
入船山記念館は旧呉鎮守府司令長官官舎です。
入船山は、この地の昔の名前だった
時計は呉海軍工廠造機部庁舎屋上に設置されていたものを移設整備した。
日に4回流れるメロディーは市内の小中学生が作曲したもの…。
通路の石は明治42年日本で6番目に開通した市内電車の敷石です
番兵塔
24時間立哨(りっしょう)が行われていた。
足下の礎石が擦り減っている
旧 高烏(たかからす)砲台火薬庫
明治35年に陸軍が音戸の瀬戸に近い休山に建設した砲台にあった。
総石造りの火薬庫は珍しいものだそうです
郷土館
左の赤いレンガの建物の2階が展示室です。
入場券を買うのに気をとられて正面の写真は撮ってない^^
「自彊不息(じきょうやまず)」 : 鈴木貫太郎
「居安思危處治思亂」 : 東郷平八郎
(安きに居て危うきを思い、治むるに処りて乱るるを思う)
「静心 養気」 : 安保清種
「公園夜会 したしきもうときもともにつどひきて
かたらふけふの宴たのしも ひろせ」 : 広瀬武夫中佐
各人それぞれに呉に縁の深い海軍の幹部でした。司馬遼太郎の「坂の上の雲」に出てくる人たちばかりです。
昔の人はみんな書がうまい。
いつものことながら感心させられます
加藤友三郎 像
第8代呉鎮守府司令長官(1861~1923)広島藩氏の3男として誕生。
日本海会戦では東郷平八郎連合艦隊司令長官の下で参謀長を務めた。後に第21代総理大臣となる
旧 呉鎮守府司令長官官舎 (国重文)
そして一番奥に着きました。明治38年(1905年)の建築。約40年間にわたって呉鎮守府司令長官とその家族が公邸として利用した。
木像の平屋建で、公的な利用をする洋館部と私的利用をする和館部が結合する特徴的な建物です。
見学用の入り口は奥の和館部にあります
紙幅が尽きたので稿を改めます
-つづく-