音戸の瀬戸
音戸の瀬戸は平清盛が切り開きました。それまでは干潮時には歩いて渡れるほどの砂州で両岸は繋がっていたらしい。船の往来が激しく、今は二つの真紅の音戸大橋がかかり素晴らしい景観を見せています。
清盛塚
清盛は難工事の成功を祈って、(当時の風習だった人柱を献じる代わりに)一字一石の経石を海底に沈めた。そして、沈もうとする夕日を扇子をもって呼び返してまでして見事に(1日で…^^)完成させました。
清盛塚は清盛の死の3年後(1184年)に建立されたと伝えられる。塚の中央には清盛公の功徳を称えた宝篋印塔があります。
音戸の船唄
清盛塚のすぐ近くには「音戸の船唄」の歌碑がありました。
「船頭可哀や 音戸の瀬戸で
一丈五尺の櫓がしわる」
音戸は穏渡だった?
音戸町には穏渡(おんど)と言う地区があります。「穏渡」とは、瀬戸が切り開かれる前には歩いて渡っていたことを言う…?あるいは平家の落人がいてもおかしくない場所なので、彼らの世を忍ぶ暮らしを言ったのでしょうか…。分かりません。
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私の好物に音戸ちりめんがあります。