所用で市内中心部に出かけたので平和公園に立ち寄りました
【8月6日】に来れないことも考慮して慰霊の気持ちを持っての散策です
【 原爆ドーム 】
多くの外人さんがいろんな角度から写真を撮っている。小さな子供連れも沢山います。心のどこかにドームの姿が残り、将来の判断材料になればいい
「百日紅(さるすべり)」
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「元安橋」を渡ります
「平和の子の像」
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8月6日の式典用にテントが張り始められていた
「半旗」 (豪雨犠牲者を悼んで…)
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「原爆死没者慰霊碑」
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【 広島平和記念資料館 】
現在改修中(来年夏完成?)であり東館のみの見学です
≪ 一枚の絵 ≫
「白島町 縮景園の裏門に通りかかった時 一人の男の幼児が門にすがって泣いていた。声をかけてさわって見ると彼は死んでいた。吾が子と思えば胸がつまる。」
(絵の作者は不明)
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≪ 折り鶴 ≫
佐々木禎子(2歳で被爆、白血病の為12歳で死亡)さんが折ったものです
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≪ 12歳の女学生の日記 ≫
建物疎開作業現場で被爆して行方不明となった
「8月5日 日曜日 晴 起床 午前五時00分 就床 午後九時00分 学習時間 二時三十分 手伝 ふき上げ (略) 午後 小西さんと泳ぎに行った。私はちっともよう泳がないのに、皆んなよく浮くなと思うふとなさけなかった。今日は大へんよい日でした。これからも一日一善と言ふことをまもらうと思う」
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こんな日記を書いた少女が翌日の朝、一瞬にして死亡してしまったのです
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≪ 当日の写真 ≫
カメラマンは惨状にためらい、20分後にやっとシャッターを切った
(御幸橋の袂)
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≪ 人影の石 ≫
階段に腰かけて銀行の開店を待っていた人は逃げることもできずその場で死んだ
(周りの石の表面は熱線で白っぽく変化している)
(爆心地から260m)
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≪ 丸裸の女学生 ≫
「川土手を見ると数人の丸裸の女学生が輪になって泣き叫んでいました。全身火傷で身についている物はパンツのゴムだけ、沢山の皮ふが垂れ下がっていました。全身が赤く、大変痛そうでした。『イタイヨー』『オカアチャンー』『センセイー』『オミズチョーダイー』などと泣き叫んでいました。」
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≪ いただきます ≫
画 : 「この世界の片隅に」の作者・こうの史代
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【 昼食 】
資料館内の軽食コーナーで頂きました。「ナポリタン」
(合掌) ごちそうさまでした
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【 詩碑 】
「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを へいわをかえせ」 : 峠 三吉
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【 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分 】
人類史上最初の原子爆弾が広島市の上空で炸裂した (73年経ちました)
決して忘れてはなりません
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