平場とはライブ中のネタ以外、例えば芸人が並んでトーク、あるいは企画などをする時間のことで芸人のその場での対応力や人としての面白さが見極められる瞬間である。ここで、たま〜に現れるのがただただ前に出ることこそが芸人としての価値だと思ってるカス野郎である。こういうカスに限ってスベってもそれも経験だからとかほざくから同業としては堪ったものではない、特にMCの人はその滑りに巻き添えを食らうわけだから可愛そうという他ない。スベった経験を積むなど冷凍庫の肉を運ぶバイトの経験以上に何の価値もない。むしろ、嫌われる。スベることに抵抗がなくなる。他人任せになる。マイナスしかないに決まってる。が、全く前に出れずにそのままライブを終えてしまうのはそれはそれで何の価値もない。一生引っ込み思案で終わってしまう。では、どうするか。かんたんである。準備をするのだ。明日のライブではこんな企画になる。メンバーはこうで、MCはこの人だからこんなフリが来るかもしれない。そうしたら、こう返そうか、いや、こうなったらこう返そうか。これを、何パターンも準備する。言ったら、妄想だ。この妄想を楽しんでやろう。楽しくなかったら向いてないかもしれない。それくらい重要なことだ。しかし、全くの見当違いの流れを想像しても意味がない。実際と近い想像が出来るか。そして、それをライブであたかもその場で思いついたかのように自然に披露する。準備して来た展開にならなければ我慢して捨てる。あるいは、自然な流れで誘導しねじ込む。(ちなみに全くの見当違いの流れになったのに無理矢理ねじ込むと1番痛い展開になる。そういう経験がある。)
これが出来る人は、信頼されライブ中困った時に話をフられる重要な立ち位置につける。滑りそうになったらこの人にふれば良い。救世主的存在。基本的にふられるまで待っておくのが芸人としては美しい。単純に、普通、話しかけられないと話さないように、ふられて話すのが自然の摂理であるから。救世主もピンチまではジッとする。しかし、レベルの高いライブになればみんなが当然のように救世主なので、自然な流れでの激しい笑いの取り合いが生まれる。究極はいいともの最終回だろう。あれは何百回と見る価値があると思う。たまにお笑いの話をすると、あの人は頭の回転が速いという言葉を聞く、確かにそれも一理あるかもしれないが、それは殆どが準備を人一倍してるだけではないだろうか。まずは、妄想して、そして誘導して、その場で思いついたような演技をしてと、頭の回転が速いで片付けてはいけない実はもっと大変な過程があってのことなのだ。恐れることはない、大体の売れてない芸人は手ぶらで丸腰でふらっとライブに現れてはあわあわして失笑を買って帰る。これが、俺のスタイルだから。笑われるのも笑わせるのも一緒だし、あ、もうこんな時間、30分後ツイキャスやりまーす!みたいなのばっかだから。かくいう私も見当違いの準備をしては無理やりねじ込んではスベっている。平場は難しい。