恋の花咲く氷室池<241日目 町ゲーセンで演ろうぜ(3)> | ゲイムマンの日本縦断紀行

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ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を公開中。

 小野 ('22.6.13)

 

引き続き勧修寺(かじゅうじ)。
芝生の広場に出た。
向こうに池が見える。
この勧修寺庭園の白眉といえる、氷室池だ。

 

平安時代には、毎年正月2日、この池に張る氷が宮中に献上された。
その厚さで、その年の農作物の出来を占ったそうだ。
昔はもっと広かったが、豊臣秀吉が伏見城を造る際、道路を通すために南側の一部が埋め立てられたらしい。

 

池のほとりに観音堂が建つ。
昭和初期(※)に建てられた比較的新しい建物だが、姿が良い。
白い観音様の御姿もよく拝める。
(※ここの創建年も案内板によって、1931年(昭和6年)と1935年(昭和10年)の2通りある)

 

池と芝生と木々の中で、観音堂が良いアクセントになっている。

 

勧修寺の創建は900年(昌泰3年)と伝わる。
醍醐天皇が、生母・藤原胤子を弔うために、宮道弥益(みやじのいやます)の邸宅跡を寺に改めたと伝わる。
門跡寺院として栄えたが、1470年(文明2年)、応仁の乱で焼失。
江戸時代に、徳川家と皇室の援助により再興された。

 

今昔物語集によると、ここが宮道弥益邸だった時代、鷹狩で近くを訪れていた藤原高藤が、急な雨に遭い、この屋敷で雨宿りをし、日が暮れたのでそのまま1泊した。
ここで高藤は、弥益の娘の列子(たまこ)と恋仲になる。

 

一夜明け、高藤は列子に、もし親が縁談を持ち込んできても断るようにと言い残して、屋敷を後にした。
高藤は都に戻ったら改めて娘を迎えに行くつもりだったが、鷹狩に行ったまま帰ってこない息子を心配していた父・良門が、高藤の鷹狩を禁じた。
その上、同行していた馬飼いの男が田舎へ帰ってしまい、屋敷の場所がわからなくなったので、高藤は娘を迎えに行くことができず、そのまま6年ほど経過してしまった。

 

あるとき、馬飼いの男が都に戻ってきたと知った高藤は、彼の案内で弥益の屋敷を訪れた。
列子はさらに美しくなっていて高藤は喜んだが、そのそばに5、6歳の女の子がいる。
弥益に尋ねると、列子はあれ以来男に近づいたことはなく、懐妊した時期からみても、高藤の子に間違いないという。
一層喜んだ高藤は、いったん都に帰ると車を用意して、翌日また屋敷を訪れ、ようやく列子(とその幼い娘)を都に迎えることができた。

 

この話にはまだ続きがある。幼い娘は成長すると、光孝天皇の皇子で臣籍降下していた、源定省(みなもとのさだみ)と結婚した。

 

光孝天皇は関白の藤原基経に忖度し、基経の甥で陽成上皇の弟にあたる貞保親王に皇位を継がせるため、自身の皇子を全員臣籍降下させていた。
しかし基経は、妹で貞保親王の母・高子と非常に仲が悪かったので、光孝天皇が病に倒れると、定省を皇族に復帰させて皇太子とする。
間もなく光孝天皇は崩御し、定省は天皇に即位した(宇多天皇)。
さらに、宇多天皇が源定省だった頃に列子の娘との間に生まれた男子が、皇太子となった。

 

このことにより、高藤も、列子の父・宮道弥益も大いに出世する。
897年(寛平9年)、宇多天皇は皇太子(敦仁親王)に譲位。
この敦仁親王こそが、醍醐天皇その人であり、列子の娘こそ、醍醐天皇が勧修寺を創建するきっかけとなった藤原胤子である。

 

残念ながら醍醐天皇が即位した時点で、胤子は既に死去していたが、その父親の高藤は、天皇の祖父となったことでさらに出世。最後は内大臣にまで昇進した(没後太政大臣を追贈)。

 

また列子は胤子の後に男子を2人産んだが(定国、定方)、定国は大納言、定方は右大臣にまで出世した(小倉百人一首の三条右大臣)。
ちなみにあの紫式部は、定方の曾孫である。

 

『源氏物語』で、光源氏が一時失脚して明石に住んでいたときに出会い、源氏が復権したとき都に連れていった「明石の君」は、列子をモデルにした登場人物といわれている。

 

このように、あの鷹狩の一夜をきっかけに、高藤と列子の一族はことごとく出世を果たした。
「玉の輿に乗る」という言葉は、列子(たまこ)の名前に由来するという説もある。

 

※「玉の輿に乗る」の語源は、江戸時代の徳川家光の側室・桂昌院(お玉)の名前からという説が有名だが、これも俗説のようで、「玉の輿」は人名に由来したものではなく、単に「立派な輿」という意味のようだ。

 

今の季節、中島の周りにはスイレンの葉が広がっている。

 

白い花が水面のそこかしこに咲く。

 

一部に赤い花も。

 

池のほとりに、葉っぱが半分白い草が生えていた。
これが半夏生(はんげしょう)か。

 

鳥が数羽たたずんでいる。アオサギか?

 

周りから、ガーガー、ピーピー、チッチッと、鳥の声。
ガーガーは蛙の声かと思ったけど、頭上から聞こえたから多分鳥。

 

池の左側(東側)にさらに歩くと、花菖蒲?が並んで咲いている。

 

氷室池をしばし眺める。
建物内の拝観ができないせいかもしれないが、勧修寺は飾り気のない静かなお寺で、その環境がかえって居心地良かった。

 

京都観光Navi(京都市観光協会) 京都府観光連盟
JRおでかけネット(JR西日本) 京都市交通局

 

※旅のマップはこちら

 

※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」はこちら。
第241回 町ゲーセンで演ろうぜ(小野→東野→山科→京都)
第240回 百夜後に死ぬ深草少将(醍醐→小野)
第239回以前


京都(第234回~)
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