JR藤森(ジェイアールふじのもり) ('22.6.11)
引き続き、藤森神社。
事前に地図で見たときは細く見えた参道が、意外に広い。拝殿まで見通せる。
児童公園の片隅に、伏見奉行・小堀政方の悪政を幕府に直訴して命を落とした伏見義民の1人で、深草出身の焼塩屋権兵衛の碑が建つ。
「蒙古塚」の周りを、アジサイが取り囲んでいた。ここが第一あじさい苑か。
コスプレイヤーの姿がちらほら見られる。
かつて拝殿だったという絵馬舎には、古い絵馬に交じって、JRAの競走馬が描かれた絵馬も、数多く掲げられている。
この写真に写っているのは、トウカイテイオーとナリタブライアン。
ほかにも、フジヤマケンザン、ナリタトップロード、フサイチコンコルド、アドマイヤベガ、ファレノプシスなど。
藤森神社は、創建したとされる神功皇后をはじめ、武神や、戦で活躍した人物が多くまつられていることから、「勝運」の御利益があるとされる。
また、毎年5月5日に駈馬神事(かけうましんじ)が行なわれるなど、馬との関わりが深い。
淀の京都競馬場まで、京阪本線の電車1本で行けるという地理的条件もあり(京都競馬場は現在、改造工事のため、2年半に及ぶ長期閉鎖中だが)、藤森神社は競馬の神様ともなっているらしい。
(「競馬の神様」と書くと、大川慶次郎さんみたいだが)
宝物殿は、入館無料になっていた。
玄関に掲げられた絵馬の中に、『馬なり1ハロン劇場』の、よしだみほ先生の絵馬がある。
重要文化財の紫絲威大鎧(むらさきいとおどしおおよろい)。
南北朝時代のもので、高貴な武将が用いたものとのこと。
(藤森神社のサイトにもそう記載されている)
しかし社伝では、早良(さわら)親王が蒙古追討のため身に着けたとされているらしい。
早良親王は南北朝よりはるか昔、奈良時代の人で、桓武天皇の皇太弟だったが、藤原種継の暗殺に関与したとして廃され、絶食して死去した。
(種継は、後に薬子の変を起こした藤原仲成・薬子兄妹の父)
伝説では、蒙古が日本に攻めてきたのは781年(天応元年)で、早良親王らが討ち取った蒙古の将兵や兵器を納めた場所が、先ほどの蒙古塚だという。
もちろん奈良時代に蒙古という国はなく、モンゴルという民族の名前が、ようやく中国の史書に登場し始めた頃だ。
藤森神社のサイトに載っている、駈馬神事の由来についての解説文には、天応元年に戦った相手は、蒙古ではなく、陸奥国だと書かれている。
実際、これより少し後だが、早良親王の部下の大伴家持が、征東将軍に任じられている。
(どのみち、鎧との時代が合わないのだが)
京都観光Navi(京都市観光協会) 京都府観光連盟
JRおでかけネット(JR西日本) 京都市交通局
※旅のマップはこちら。
※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」はこちら。
・第239回 アジサイと刀剣とモテない男子(JR藤森、墨染、醍醐)
・第238回 崇徳天皇と安倍晴明と菅原道真(今出川、北野天満宮、北野白梅町、円町→京都)
・第237回以前
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