大垣('15.11.27)
川がクランク状になっている場所に来た。
「四季の広場」というらしい。
滝が流れている。
対岸は岩場。岩の間に細い滝。
小舟が係留されていた。
ここの水も透き通っていて、水底の藻がよく見える。
雨が本降りになる中、「奥の細道むすびの地記念館」に到着した。
松尾芭蕉の奥の細道は、大垣から舟に乗って伊勢神宮を目指すところで終わっている。
展示室の「芭蕉館」へ(芭蕉館・先賢館の入館料¥300)。
まずは、午後1時42分からAVシアターで始まる映像展示を見る。3Dメガネを使った立体映像。
15分ほどの映像が5種類あるのだが、私の見た回は「奥の細道 歌枕の道行き 奥州路を辿る」。
俳人の黛まどかさんが芭蕉の足跡をたどって、奥の細道を解説する。
壺の碑(いしぶみ)、松島、平泉。
久しぶりにまた行きたくなった。
私が11年前に松島を訪れたときは、あまりの景色の良さに感動して、「新幹線使えばすぐ来られるからまた来よう」と思った。
それから11年間行ってない……。
常設展示室へ。「おくのほそ道」本文を掲示し、いくつかの箇所について解説。
芭蕉の旅は、古人が歌に詠んだ「歌枕」を巡る旅だった。
文中にも、日本や中国のさまざまな本からの、引用やオマージュがみられる。
(「国破れて山河あり」等)
同行した曾良の旅日記と照らし合わせると、「おくのほそ道」に書かれたエピソードの中には、創作も含まれていたことがわかる。
(平泉・中尊寺の経堂について記述があるが、実際は中を見ていない等)
「おくのほそ道」には書かれた時期の異なる4種類の原本があり、訂正・推敲して少しずつ表現が変わっているのがわかる。
(タイトルも最終的に「おくのほそ道」となるが、原本でも写本でも表記がやや異なるものがある)
また内容も、よりドラマチックな形に変えられている。
「おくのほそ道」は、実話をもとに一部創作を加えて作られた、文学作品だったのだ。
奥の細道むすびの地記念館
「おくのほそ道」に松島を詠んだ句がないことはよく知られているが、実際には芭蕉は「嶋々や千々にくだきて夏の海」という句を詠んでいる。
しかし、おくのほそ道には載せなかった。
展示室に、江戸の芭蕉庵、松島、大垣などの、小さいながらよくできたジオラマがある。
芭蕉は大垣を計4回訪れているという。大垣には芭蕉の友人・谷木因がいた。
「野ざらし紀行」の旅で訪れたのが最初で、2回目は「笈の小文」「更科紀行」の旅。
「おくのほそ道」で訪れたのは3回目だった。
「おくのほそ道」は、芭蕉が門人たちと別れて、舟で伊勢を目指し、
「蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行(ゆく)秋ぞ」
という句を詠んだところで終わっている。
芭蕉が舟に乗った所は、この記念館のすぐそばにある船町川湊。
水門川から揖斐川に出て、伊勢神宮の式年遷宮を見に行った。
(この句はその行程の途中、伊勢長島で詠まれたものだそうだ)
芭蕉はこの旅をきっかけに、「不易流行」の考えを持つことになったという。
私も旅の中で何度か、古くからあるものと、後の時代につくられたもの、さらにごく最近つくられたものが、同じ所に存在する様子をよく目にして、「一つの場所で歴史が重層的に見られて面白いなあ」と、何となく思っていた。
芭蕉はそういう感覚を、「不易流行」という言葉で明快に表現。
そしてこの考えを俳句にも生かし、「俳句にも変わらないものと変わるもの両方必要」という考えに至った。
やっぱり、旅に出たら、その中で感じたことを、自分の作品とか人生とかに生かして、成長しなきゃな、と反省した。
奥の細道むすびの地記念館
※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」&地図はこちら。
第207回 奥の細道ゴール地点(大垣)
第206回 頑張る笠松競馬(岐阜→笠松→柳津)
第205回以前
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