日本人として複雑な気持ちが生じる映画だが目をそむけてはいけないのだろう。かなり長時間で最初がやはりわかりにくく眠くなりそうだったが、重いテーマだけに見ているうちに緊張感が高まる。ナチスが先に原爆をつくるのに成功していたら、どうゆう世界になっていたか?アメリカとソ連との戦時中と戦後の関係の激変。共産主義への警戒。日本も今の時代とは違うとはいえ、それにふりまわされてきた。一つの戦争が終わればまた次の戦争が起こる。人間の社会は所詮はそうゆうものだと悟ったり割り切ったり攻めるが得と居直ったりする国が出てくる恐ろしさ、平和の維持はきれいごとではない。原爆をつくった人物は実験より理論が好きな学者肌な人物で俳優の顔がアメリカの元大統領に似ている気もした。映画とはいえ正確な史実に近く、追求するタイプはそれを成功させるのに必死でどう使用されるかまで考えず後で苦悩する。
日本人としては原爆投下候補地が気になった。京都がギリギリまで候補地だったのは意外だが結局外された。もともと軍需産業があるとはいえ広島とか地方都市がねらわれ、東京や大阪、名古屋はなぜ選ばれなかったのかも不自然である。
やはり空襲回数との関係か?
今年見た映画はゴジラマイナスワンにせよ、少年と青サギ、窓ぎわのトットちゃん、鬼太郎誕生にせよ、時代設定が戦時中とか戦後が多い。ただ、戦争そのものを描いたシーンはトモエ学園が大空襲をくらったくらい、なるたけ客観的に見ないと正確な解析を誤る。
オッペンハイマーでは原爆投下の報告はあっても、その惨状までは描いてない。日本側からしたら不満がる人も多いようだがテーマをつくった人物の話に限定しているからだと思う。