★慶應2年6月6日、「幕府、萩藩の奉命せざるを以て、問罪の師を発せるを布告す。萩藩、国政方兼海軍用掛谷潜蔵「春風・高杉晋作」を海軍総督と為す。熊本藩主細川慶順「越中守」、征長軍の部署を定め、備頭溝口蔵人に命じ、一番手人数を率いて小倉に至らしむ」。

★慶應2年6月7日、「幕府、征長先鋒総督徳川茂承に命じ、安芸・石見両道の征長軍を指揮せしむ。尋で、同藩付家老「後田辺藩」安藤直裕「飛騨守」、茂承の名代として、石見口の指揮に当る」。幕長戦争始まる。

★慶應2年6月7日、「幕府軍艦、上ノ関「周防国熊毛郡」の附近及安下庄「大島郡」・油宇村「同上」等の海岸を砲撃し、明日再び油宇村・安下庄・久賀村「同上」を襲ふ。尋で幕兵久賀村に、松山「伊予」藩兵安下庄に各上陸し、萩藩の守兵と戦いて之を破る。守兵,遠崎に退く」。

★慶應2年6月7日、「禁裏守衛総督摂海防禦指揮徳川慶喜「権中納言・一橋家主」・所司代松平定敬「越中守・桑名藩主」参内、萩藩幕府の命に服せざるを以て、問罪の師を発するの状を奏す。勅して、速に追討の功を奏せしむ」。

★慶應2年6月8日、「鹿児島藩使者吉井幸輔「友実」・三雲藤一郎、太宰府に至る。是日、福岡に赴き、同藩世子黒田慶賛に謁して藩主島津茂久父子の意を致し、元権中納言三条実美等護送の幕命阻止を嘱す。明日、目付小林甚六郎を訪ふて論議し、尋で、11日太宰府に帰る」。

★慶應2年6月10日、「鹿児島藩主島津茂久、藩士平田平六・同岸良彦七を内使とし、萩藩主毛利敬親の起居を問い、物を贈る。是日、萩藩世子定広、平六等を湯田の別野に引見し、其厚意を謝す」。

★慶應2年6月14日、「鳥取藩主池田慶徳、書を岡山藩主池田茂政に寄せ、征長の事情、諸藩の動静を報じて、進退を共にせんことを求む。熊本藩使者速見市之允、鹿児島に至り、鹿児島藩士西郷吉之助と会見し、征長の事を協議す」。

★慶應2年6月16日、「英国特派全権公使パークス、鹿児島藩主島津茂久の招待を以て、同国東洋艦隊司令長官ジョージ・キングと共に軍艦プリンセス・ローヤル、サーペント、サラミスを率い、長崎より鹿児島に入港す。明日、茂久、旗艦を訪ひ、又パークス等を磯邸に饗応す。尋で「二十一日」パークス、サラミスに搭じて去り、翌日、キング、僚艦を率いて退帆す」。

★慶應2年6月17日、「鹿児島藩士吉井幸輔「徳春・友実」、元権中納言三条実美等護送の幕令に関し、指揮を得んが為、太宰府を発して、帰藩の途に就く」。