★文久2年5月1日、「浪士田中河内介「綏猷・堅二郎・士徳・元中山家家士」・其子瑳磨介「嘉猷・東郊」鹿児島に護送せらるるの途次、船中に於て同藩士の為に斬殺せらる」。田中河内介、要注意人物の1人。

★文久2年5月6日、「老中久世広周、未だ召命に応ぜず。是日、朝議、鹿児島藩主茂久生父島津久光「和泉」の建言により、別に勅使を江戸に差遣するに決す。勅使東下のことを所司代酒井忠義「若狭守、小浜藩主」に宣達す。忠義、また老中久世広周の奉命入京を上申す」。

★文久2年5月7日、「浪士海賀宮門「直求、元秋月藩士」、同中村主計「重義、元島原藩士」、同千葉郁太郎「徳胤、但馬人、田中綏猷甥」鹿児島に押送せらるるの途次、細島港「日向」において、同藩士の為に斬殺せらる。幕府、老中久世広周に上京を命ず」。

★文久2年5月10日、「右近衛権少将三条実美、書を上り、鹿児島藩主茂久生父島津久光「三郎」の建言をいれ、関白九条尚忠の辞職を聴許せんことを請ふ。左近衛権中将阿野公誠、同滋野井実在、右近衛権少将河鰭公述、侍従姉小路公知、また連署して同事を陳奏す」。

★文久2年5月11日、「勅使大原重徳「左衛門督」をして幕府に宣示せしむべき大将軍の入朝、五大老の設置、幕府補佐職の登用等三事の聖謨を群臣に諮詢す。また癸丑以来の幕府失政、国威陵遅を軫念したまふことを廷臣に告げ、上下一致攘夷の叡旨を貫徹せんことを諭示す」。

 

★文久2年5月22日、「勅使大原重徳、京を発す。鹿児島藩主茂久生父島津久光、兵を率ゐて之に従ふ。島津久光、東下に因り、後事を支族島津石見「久静・都城邑主」に託して京都警衛の任に当らしむ」。