★明治1年4月3日、「鹿児島藩、軍艦春日丸を英国商人に託し、上海「清国」に至り、之を修繕せしめんとす。乃ち同藩老臣汾陽次郎右衛門、書を長崎裁判所に上り、仮に英国の旗章を用ひんことを請ふ。之を聴す」

★明治1年4月4日、「東海道先鋒総督兼鎮撫使橋本実梁・副総督兼鎮撫使柳原前光、江戸城に入り勅旨を徳川慶喜の支族徳川慶頼「田安家主」に伝へ慶喜の死一等を減じ命ずるに慶喜の水戸屏居・江戸城明渡等実効五事を以てす。慶頼、謹みて命を拝し慶喜に伝へて奉答せんことを請ふ」。

★明治1年4月5日、「島津久光の檄を西海道諸藩に伝ふるや、諸藩皆勤王弐なきを陳す、是日、島津忠義、其状を奏し、諸藩の答書を上る」。

 

★明治1年4月25日、「横浜在住米国人ヴァン・リード「布哇国総領事と称す」我国民を傭ひ之を布哇島に送らんとし、査証を神奈川裁判所に請ふ。布哇は未締盟国なるを以て許さず。往復数回、議未だ諧はず。是日、ヴァン・リード、邦人百二十許人を英国船に搭せて横浜を出帆せしむ」

★明治1年4月26日、「大総督府、参謀林玖十郎を京都に遣して、速に徳川氏の処分を決定せんことを請ひ、且諸道総督等の意見書を上る。尋で「二十八日」参謀西郷吉之助を京都に赴かしむ。侍従坊城俊章を外国事務局権輔に任ず」。

★明治1年4月27日、「軍防事務局権判事大村益次郎「永敏・萩藩士」を同判事と為し、東下して大総督を輔けしむ。因て大総督に令して、諸道の官軍を統一して兵機を誤ること勿らしむ。又旧幕府麾下士の帰順本月十一日以降に在る者は、其上京を停めしむ」。