2018年11月26日に乳がんが確定になったヨメが翌月の12月12日に左胸全摘同時再建手術を行いました。
その日、午前9時30分からの手術でした。
子供たちを朝、学校へと送り出し、私は少ししてから病院に向かいました。
到着は、9時前だったと思います。
駐車場に止めて病院に入ろうとした時、ヨメからラインが入り、お義母さんとお義父さんがすでに来ており、自分は形成外科に呼ばれたので来たらいないかもとのこと。到着するとヨメのラインの通りいませんでしたが、程なくしてもどって来ました。
その後、私の母親も到着。5年ほど前、自分も乳がんだったこともあり、身につまされる思いだと言ってました。
手術開始の9時30分まで時間があったので、少し2人きりで話をしました。ヨメの身体のことや家のこと、前日に子供たちがオカーサンに書いた手紙の事。末っ子の長男は泣きながら書いてたんだよー、などなど。
看護師さんに呼ばれました。
いよいよです。緊張が高まります。
手術室へは歩いて行きました。向かっている途中、エレベーターに乗ったのですが、偶然にも執刀していただく先生と一緒になり、きちんとお願いができました。キチンとお願いができたことはホント良かったです。
手術フロアにつくと、目の前に見える自動ドアから向こうには私はいけません。入る前にしっかりと手を握り、笑顔で頑張ってね!と伝えその場を後にしました。
待っている間の不安は2つ。
1つ目は、全身麻酔によるアナフィラキーショック。
2つ目は、リンパへの3箇所以上の転移による再建不可。術後抗がん剤、放射線治療が必要なことを意味します。
手術が始まり、30分ほど経過したところで、1つ目の不安はほぼ解消しました。もし何かあれば、早い段階で呼ばれるはずです。お呼びはかかりませんでした。
次は2つ目です。
リンパへの3箇所以上の転移の場合、予定終了時間よりも1時間早く出てくることを知らされています。手術時間は、約3時間です。
9時30分から始まりましたので、11時30分を越えれば、2つ目の不安は消えるのですが……
時計の針に鉛がついているかのように進みが遅く、1秒の刻みがこれほど長く辛く感じたのは初めてでした。
秒針の経過とともに、抗がん剤や放射線治療になってしまった時に備えて気持ちの整理をしておきました。通院やヨメの見た目が変わる事、私ができることは何があるかなぁと。ちなみに、ボウズにする覚悟は出来てます(๑˃̵ᴗ˂̵)
色々と考えた後、ふと、時計を見ました。すると先ほどまでの鉛がするりと抜けてしまったかと思ってしまうぐらい時間が経過しており、感慨アッサリと2つ目の不安はなくなりました。(疲れましたが…)
午後12時30分
看護師さんに呼ばれました。
エレベーターで手術室に向かいます。ヨメを待っていると先に執刀医が出てきました。
先生からの説明を聞きます。
・リンパへの転移はなかった
・大きな癌が3つある
・手で触ってもわかるぐらいの大きさ
・この3つの癌をスライスして同一のものかを調べます
・精密検査の結果、治療法が決まります
・結果によっては、抗がん剤、放射線治療もあり得ます。
そ、そうだよな…まだ抗がん剤、放射線治療ということもあり得るんだよな…と。心の中で呟いてしまいました…。
で、切除した左胸を見ますか?と聞かれました。もちろん、見ますとも。
見慣れた乳首は(いや…お恥ずかしい…)そのままで、オッパイが生々しくそこにありました。いくつかの箇所が、緑色になっていました。(詳しくはわかりませんが、癌細胞がある箇所が変色するのではないかと思います)
本当に摘出しちゃったんだなぁ…って。
程なくして、ヨメが出てきました。意識はハッキリしてましたが、しんどそうです。胸が痛むのかと思っていたのですが、どうやら気道確保のための管が通っていた喉が痛いとの事で、咳き込んでいました。話すのも辛そうなので、一言二言、声をかけ、優しく見つめておきました。
一緒に病室に戻り、お疲れ様と声をかけました。ゆっくりしてもらおうということで、少しだけそばにいましたが、夕方子供たちを連れてくることを約束して、病院を後にしました。
手術は成功です。
この日(2018年12月12日)ヨメは
左胸を失いました。
午後、術後のヨメを子供たちは目の当たりにします……。