レコード芸術
1974年7月号
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この月の新譜月評の一覧は以下の通りです。この時期推薦盤はかなり点数が少なくなっています。この年から交響曲部門の選定は大木正興氏が担当していますが、彼になってからかなり点数が絞られていたような気がします。この月の交響曲はケルテス/ウィーン・フィルのブラームスの交響曲全集のみでした。本来キングレコードは、この月ショルティのマーラーシリーズの「大地の歌」をプッシュしていました。しかしそれは評価されなかったようです。そんなこともあるのでしょうか、この月の裏表紙では、キングはこのショルティの「大地の歌」を広告していますが、その推薦文は大木正興氏ではなく、前の月評担当者村田武雄氏が書いています。せめて、こちらでポイントをあげようという作戦が見て取れます。
ケルテスのブラームスは全集と言う形をとっていますが、第二交響曲は1964年の録音で、その他が1972年の11月から73年の3月にかけての録音となっています。またハイドンの主題による変奏曲は、彼の死後録音されたもので、指揮者なしで演奏されたものが収録されています。
メーカー広告のページでは、見開き両面を使ってショルティの大地の歌が広告されています。大木正興氏によると、声楽人がちょっと弱いと言うのが推薦にならなかった理由のようです。
1968年のソ連によるプラハ進攻によりチェコの民主化の道は閉ざされました。この時チェコフィルの常任だったアンチェルはそのままカナダに亡命しています。その後を受けて、ノイマンがチェコフィルの常任になりますが、当時彼はゲヴァントハウス管弦楽団の常任でもありました。その彼がチェコに戻り録音したのがこのスラブ舞曲と言うことになります。
曲名だけが大きく表示されていますが、作曲家名は全く表示されていません。まぁ前衛曲ですから、普通に打ち出しただけでは売れなかったのでしょうな。これは20世紀前半の前衛音楽の旗手であったヴァレーズの代表作です。録音は大変優秀でFFSS録音の面目躍如と言え、水素爆発を起こしているかのような演奏に仕上がっています。でも果たして売れたんでしょうか。
昨年1000円盤の限定で発売されたカラヤンの録音は、ベリーベストClassix 50ではもうレギュラー盤に格上げされて発売されています。メリハリの効いた戦略と言えるでしょう。ただチラシ下段のフリューベック・デ・ブルゴスのアルバムがひっそりと発売されているのは知りませんでした。これは実際には英デッカの録音ではなく、スペインのディスコ・コロムビアのオリジナル録音になるもので、レコード番号の後に(C)と言う表示があります。こういう原盤もキングが扱っていたのは知りませんでした。
オペラを続々と発売していたキングは、最終ページでオペラ作品をまとめて紹介しています。珍しいドニゼッティの「連隊の娘」が大きく取り上げられていますが、このオペラシリーズにはサザーランドの旦那であったリチャード・ボニングが数々の録音でこのシリーズを盛り上げています。サイド告知では、まだこの時期は、テレフォンケンを名乗っていた出すシリーズのバッハの作品が、さりげなく告知されています。
さて、記事ではこの年の年末に発売される予定であったドラティのハイドン交響曲全集に先駆けて、ハイドンの故郷と言うべきエステルハージ公の城を訪ねた作家属啓成氏の訪問記の記事が掲載されていました。属氏は今自民党の総裁候補として立候補している林芳正氏とは姻戚関係にあります。なかなか興味深い記事で、エステルハージ公の城がこの当時どういう使われ方をしていたかを生々しく語っている興味深い記事になっています。
この月のトップのグラビア記事は、この年来日したハイティンク/アムステルダムコンセルトヘボウの来日公演の写真を取り上げていました。共演したピアニストは台湾生まれのピー=シェン・チンですが、今ではほとんど名前を聞く事はありません。それもそのはず現代音楽を中心に活躍しているピアニストで拠点がドイツにあります。この時の記事ではピー=シェン・チェンと表記されていますが、現在は単にピ・シェン・チェンと言う表記に変わっています。時代を感じます。
他の日アーティストとしては、この年1970年以来2回目の来日となったスヴァトスラフ・リヒテルが取り上げられます。幻のピアニストがこうしてだんだん日本の聴衆にもその演奏を聞かせてくれた事は喜ばしいものがありますが、今回の来日公演でも演奏会をドタキャンしたり、結構トラブルはあったようでした。
こちらは懐かしいイングリット・ヘブラーもこの年来日しています。当時はモーツアルト弾きとして人気がありました。小生も彼女のレコードを何枚か購入した記憶があります。
冒頭のレコード会社の告知は、ビクターが始まりますが.イーゴリ・ジューコフの名前はほとんど記憶にありません。スクリャービンの全集を2度も録音していますが、ポピュラーな曲は協奏曲も含めてあまり録音していないのもその原因なんでしょうか。
それよりも豊田耕児とイェルク・デムスがビクターにCD 4の録音を残していた方が気になりました。録音はウィーンで行われていますが、このシベリウスのソナチネは世界初録音でした。
諸外国では、EMIのルートで発売されていたソ連のメディアレベルですが、なぜか日本ではビクターが新世界と言うレーベルを作って発売していました。
当然、リヒテルもその新世界レベルからレコードが発売されていました。
続きます。