レコード芸術
1974年3月号 5
この後の中でもう一つ気になる記事がありました。1973年の10月号から連載されている(理想のレコードを追ってと言う記事が今回大団円を迎えています。どういう形で制作されたレコードが1番言語に忠実な響きを導き出すのかと言うことを実験したものです。レコードを制作する過程にはいろいろなプロセスがありますが、基本的にカッティングが大きなウェイトを占めています。この記事の中では、そのカッティングの部分をアメリカのカッティング専門会社でカットしカッティングしてもらい、マスターは日本でプレスすると言う工程を経たものが1番言語に忠実なものが出来上がると言うプロセスを経ています。これは記事を読んでもらえばわかりますが、カッティングに音楽的な知識とか素養がなければ良い音が生まれないということです。また通常アメリカでプレイされたものは原料となる塩化ビニールの質がそれほど良くないこともあってか音は馬力があるのですが、実際スピーカーから流れてくる音はパチパチノイズが多いと言う塩化ビニールの素材に起因した問題が多々あったことも事実です。そこでここで追求されたのは日本でマスターをプレスした方が音が良いということです。これは材料の質にもよるのでしょうが日本人の繊細さがそこに生きているような気がします。まぁ、下の記事をじっくり読んでみてください。
シリーズで連載されている世界の指揮者は、この号ではゲオルク・ショルティが取り上げられています。一般的なイメージとしては、1950年代から始まったワーグナーのニーベルングの指輪の全曲録音で知られるようになったのがショルティだと言うことです。しかし、ショルティーはポットでではなく、それ以前にも指揮者としてヨーロッパをまたにかけて活動していました。バイオグラフィーを見ると最初はピアノとピアニストとして整形を立てることに注力していたのですが、それでは食っていけないということで、指揮者に変更したようです。持ち前の耳が良いと言う点も、この指揮者への転向はプラスに作用したと考えられます。
ショルティと言うと、ウィーン・フィルとはあまり相性が良くないようなことがあちこちに書かれています。それでいて、デッカの所属ということもあり、ウィーン・フィルは頻繁に録音を残しています。ただディスコグラフィーを見ると、戦前はこのウィーンとはあまり関係がなく、ベルリンフィルも盛んに振っていたことが、そのレコーディング歴からわかります。第二次大戦中は、意外にもベルリンフィルのコンサートマスマスターだったタシュナーとベートーベンのバイオリン協奏曲などを共演してレコーディングを残しています。
戦後はショルティはベルリンフィルを振ったと言う記事を見たことがありませんが、バーンスタイン以上にショルティの方がカラヤンから嫌われていたのではないでしょうか。まぁそんな初期の様子から、この当時の最新のショルティの録音までをここでは小石忠男氏が駆け足で紹介しています。
そして、もう一つ、連載記事として、プロデューサーの若林俊介氏が音楽評論家のリスニングルームを訪問する企画が続いています。今回は福原信夫氏の元を訪ねてその使用している再生装置について対談しています。写真を見てもわかるように、福原氏はどちらかと言うと、レコードよりもテープの方を中心としたシステムを組んでいるようにお見受けします。これは氏が放送関係の仕事を長くしていたことも関係しているのでしょう。何しろレコードは媒体として残っていますが、放送は放送されたら録音しない限り消えてしまいますからねぇ。
すごい量の機器がセットされています。
スピーカーはタンノイⅢLZプラスダイアトーン610
アンプ サンスイ AU111
プレーヤー ソニーPS1200
カートリッジ シェアーV-15/Ⅲ、オーディオ・テクニカAT-35
チューナー ビクターJT-V1
テープレコーダー ソニー TC-9000、TC-6400
カセット ソニーTC-2130、2130A、2130SD
というボリュームです。これらを自作のスイッチャーで切り替えて使用していたそうです。