思い出のS盤アワー Vol.7
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S盤という言葉は今では死語でしょう。そして「S盤アワー」は昭和27年(1952年)に日本ビクターが文化放送でスタートさせ、爆発的な人気を得ていた洋楽ラジオ番組のことです。「S盤アワー」の名称は戦後、日本ビクターがアメリカのRCAと改めて正式に原盤契約を行い、海外のポピュラー音楽を売り出す際のレコード番号をS-1からはじめたことで“S盤”と呼ばれていたことに由来します。世界中を熱狂させたロックの帝王“エルヴィス・プレスリー”を日本で最初に紹介したのも同番組です。番組当初はオープニング曲はペレス・プラード楽団の「エル・マンボ」、エンディング曲はラルフ・フラナガン楽団の「唄う風」である。冒頭のあいさつは「犬のマークでおなじみの日本ビクターがお送りする、ニュースタイルの軽音楽プロ、"S盤アワー"の時間がやってまいりました」というものでした。そして、放送で使われている音源はレコード盤ではなく、RCAから空輸されたカッティング用のマスターテープを使用しており、ノイズもない生演奏に近いものでした。
ただ、ラジオという性格上全てモノラルでの放送でしたからここでの音源もステレオではなくモノラルで収録されています。まあ、このレコードはそういうラジオ時代の音を懐かしく思い出として聴くために発売されたものでしょう。このレコードに収録されてはいませんがオープニング曲の「エル・マンボ」です。
このレコードはその第7集ということで時代は1960年大の曲が中心になっています。最初のシルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」は1963年の同名のフランス映画の主題歌です。下はその映画の音源です。めちゃ可愛いです。
このアルバムにはシルヴィ・バルタンの曲が3曲含まれていますが、個人的に一番好きなのは「悲しみの兵士」です。個人的にはこの曲が一番好きです。まあ、この曲がヒットしたのでその後のヒット曲にもモーツアルトの交響曲第40番をアレンジした「悲しみのシンフォニー」もヒットしました。
歌物が多いのもS盤の特徴ですが、日本でのヒットを狙ったペキ゜ー・マーチの「霧の中の少女」は来日時に日本で録音した曲です。
当時は映画音楽の主題歌もヒットパレードを賑わしていました。エンリオ・モリコーネなんかその最たるアーティストでした。「さすらいの口笛」は「荒野の用心棒」の主題曲ですが、マカロニ・ウェスタンの走りでクリント・イーストウッドもここからスターにのしあがっていきました。
カナダ出身のロック・グループ「ゲス・フー」が放った1970年のヒット曲です、中々バンチのある曲です。でも、忘れられているなぁ。
「ヘドバとダビデ」もこの一曲しか知られていません。この曲は1970年11月に開催された「第1回東京国際歌謡音楽祭」で見事グランプリを獲得した曲です。ここでは日本語バージョンが収録されています。
モンキーズ解散後マスク・ネスミスがザ・ファースト・ナショナルバンドと放ったヒット曲です。もともとカントリー色の強かったマイク・ネスミスでしたからこれはその路線に乗った曲でした。