チェリビダッケの田園 | geezenstacの森

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チェリビダッケの田園

 

曲目/ベートーヴェン

交響曲第6番ヘ長調op.68『田園』(録音:1993年、ライヴ)

1.(00:32) Applause(拍手)
2.(11:47) I. Awakening of Cheerful Feelings Upon Arrival in the Country: Allegro ma non troppo
3.(16:14) II. Scene by the Brook: Andante molto mosso
4.(06:31) III. Merry Gathering of Country Folk: Allegro
5.(04:30) IV. Thunderstorm: Allegro
6.(12:01) V. Shepherd’s Song: Happy and Thankful Feelings after the Storm: Allegretto
7.(00:52) Applause(拍手)
8.序曲『レオノーレ』第3番op.72a(録音:1989年、ライヴ)

 

指揮/セルジウ・チェリビダッケ
演奏/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

録音/1993/01/25

   1989/01/20  8 ガスタイク・ホール、ミュンヘン

 

E: ジェラルド・ユンゲ

     ピーター・ユッケ 8

 

EMI 0724355684059

 

 らじるらじるの聽き逃しで、11日放送の「かけるクラシック」を聴いて=いたのですが、今月のお題の「天気×クラシック」でチェリビダッケの「田園」がかかりました。放送では3-5楽章が放送されただけでしたが、その演奏の語り口にほれぼれとしてしまいました。一般にチェリビダッケの演奏は全体に遅いのが有名ですが、その遅さであってもこの「田園」は全く違和感のないテンポでした。そして、何よりも驚いたのはもうどれだけ聞いているのかわからない「田園」でありながら、チェリビダッケの演奏からは今まで耳にしたことがない旋律が耳に届いてくるのです。ということで、手元にあるこのCDを引っ張り出しました。

 

 もともと田園はゆっくりした演奏が好みでした。際しよに感動したのはヨッフム/コンセルトヘボウの演奏です。それもありこのチェリビダッケの田園はすんなり入っていけました。このチェリビダッケの「田園」もゆったりした演奏で、細部まで描ききっています。演奏時間も拍手を除いても50分を超えています。この田園、目の前に広がるのは、田園は田園でも広大な大平原のような印象を受けます。

 

 チェリビダッケは、急逝したケンペの後任としてミュンヘンフィルの首席指揮者になりました。ケンペの質実剛健な曲作りから一転して、晩年のチェリビダッケの個性的な演奏を聴くことができたミュンヘンの聴衆は幸せです。聴けばわかりますが、演奏終了後、2秒、3秒、4秒と余韻を楽しんだ後、少しずつ拍手が沸き起こるミュンヘンの聴衆は最高です。日本のようにブラボーがあり、一斉に土道の拍手が始まる様とは全く違い音楽の聴き方に余裕を感じます。

 

 この一連の録音は、録音芸術を認めなかったチェリビダッケが亡くなった後、家族が許可 したことで出たCD集の中の一つです。EMIがライセンス発売したものですが、本来のEMIのサウンドとは違い減額の響きがシャープで奥行きのある響きが特徴になっています。本人の意思に反するのかどうかは分かりませんが、こうして優れた演奏に接することができるのはありがたいことです。このシリーズの録音は記録として残すだけでリリースする予定がなかっただろうにもかかわ らず、大変バランス良い音に仕上がっています。 悪口の大家だとされた彼も、向こうの世界ではきっと微笑んでいることでしょう。


 ルーマニア生まれのチェリビダッケは第二次大戦後のドイツで、フルトヴェングラーの後継者としてベルリン・フィルの首席になると思われていた実力者でし たが、楽団と喧嘩別れをした結果そうならず、カラヤンが着任したことは有名です。変わり者の逸話が数々ある中、録音嫌いに ついては彼が禅に傾倒していたことから(ジャケットに押されている印章は関係があるでしょうか)、演奏の一回性とか聴衆との「今、その場所」の対話といった精神的な理由を考えたくなります。しかし実際は放送を許可したり一部映像を残したりもしていたようで、録音技術への不満という側面があったと解釈する人もい ます。

 しかし晩年の彼が地元のガスタイク・ホールで残した手兵ミュンヘン・フィルとのシリーズをあらためてこうして聴いてみると、人を驚かせるような要素は減り、誠実な感じになったと同時に、テンポが極端に遅くなっていることに気がつきます。テンポについては多くの指揮者が老境においてそうなる例がありますが、誠実さが感じられるようになってくるのは心温まることです。


 さて、その遅いテンポなのですが、晩年のベームのように淡々としているのではなく、遅いは遅いなりにテン ションが保たれている場合は透徹した、凄味のようなものがあります。それが興味のあった禅の境地なのかどうか、もはや宗教的感情と言ってもいいかもしれません。確かにチェリ ビダッケのCDを聞いていて間延びしているように聞こえることもあるものの、いくつもの録音で濃密さが感じられます。納得できる音が出てくるまでリハーサルを繰り返し非常に厳しかったという彼のこだわりが晩年においても感じられるのです。    

 曲の性格から、元来緊張 という部分は表に出難いでしょう。その上で変わったことをせずにゆったりと音を鳴らして行った結果、 田園らしいリラックス感ってこう響くのか、というのがこの演奏です。カラヤンなどのスピーディな演奏を好む向きには受け入れられないでしょうし、もたつい ていると感じる人もいるでしょう。しかし個人的にはこの演奏に魅かれるものがあります。ジュリーニやアバドのように今までにも遅い演奏はありました。それ らとどう違うのかを説明しようとして「全てをありのままに認める境地がある」と言えば、やっぱり禅にかこつけてるしょうか。したがって理由ははっきり示せないのですが、チェリビダッケの田園は数ある田園のなかでヨッフムのものと並んで最も気に入っている一枚です。

 

 第一楽章は第2ヴァイオリンの旋律がくっきりと聴くことができたのはヨッフムの演奏でそれはそれでびっくりさせられたものですが、このチェリビタッケの演奏では第三楽章でそういう部分を感じることができました。

 

 

 

 余白に収録されているのはその少し前の収録になる「レオノーレ序曲第3番」です。ベートーヴェン唯一のオペラの序曲ですが、曲の内容にこだわった序曲としては最高峰に位置するものです。チェリビダッケはオペラ作品は一つも残していません。まあ、コンサート指揮者だったんでしょうなぁ。それでも声楽作品としての宗教音楽は録音を残していて、レクイエムなどは幾多の作品を録音しています。いや、正式にはコンサートで取り上げたと言った方が正解でしょう。もちろんこの「レオノーレ」も序曲だけ残しています。しかし、これもスケールの大きな演奏で、全体の音楽の作りも非常にダイナミックな演奏になっていて、この序曲を聴くだけで、オペラ全体の雰囲気を感じ取ることができる名演になっています。