クレンペラーのハイドン | geezenstacの森

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クレンペラーのハイドン

「軍隊」、「時計」

 

曲目/ハイドン

交響曲第100番ト長調「軍隊」

1. 第1楽章:アダージョ~アレグロ 11:17

2.第2楽章:アレグレット 6:38

3.第3楽章:メヌエット(モデラート)&トリル 5:17

4.第4楽章:フィナーレ(プレスト) 5:43

交響曲第101番ニ長調「時計」*

5.第1楽章:アダージョ~プレスト 7:27

6.第2楽章:アンダンテ 8:37

7.第3楽章:メヌエット(アレグレット)&トリル 8:13

8.第4楽章:フィナーレ(ヴィヴァーチェ)  4:37

 

指揮/オットー・クレンペラー

演奏/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

   フィルハーモニア管弦楽団*

録音:1965/10 

   1960/01 アビーロード第1スタジオ

P:ウォルター・レッグ

E:ハロルド・デイヴッドソン

東芝EMI AFRC-531

 

 

 クレンペラーは、どうやら自分なりに「気に入った」作品だけを気ままに録音したような雰囲気があります。まあ、60年代まではそれこそニックネームのついた後期の大編成のザロモンセットあたりの曲しかほぼ録音されませんでした。そんな中でクレンペラーの演奏が特殊だったのはレコーディングでは古典派時代の対向配置にこだわり、第2ヴァイオリンを右側に配し尚且つコントラバスき左側の奥に並べるというスタイルをとっていたのでステレオ感があまり感じられないという録音になっていました。ただ、時代はステレオ時代で、左側には弦楽器主体の高音が、そして右側にはコントラバスやチェロを要した低音楽器が陣取ることでステレオ感のある録音がもてはやされていました。つまりはストコフスキースタイルの編成ですわな。もともと小生はそのストコフスキーを好んでいたこともあり、古風なスタイルのクレンペラーは全く触手が動きませんでした。さらに、東芝EMIはソニーのワルターと対抗してクレンペラーの録音を廉価盤には投入しないというスタンスを取っていましたから当然一枚も所有していませんでした。

 

 ですからクレンペラーを聴くようになったのはCD時代に突入してからです。でも、このハイドンはCDでも所有していませんでした。フェーマス・レコードクラブの全集に含まれていなかったらほぼ聴く機会はなかったと言ってもいいでしょう。ただ、これは一般の市販されたレコードとは違う特色があります。市販品はA面が「時計」で「軍隊」はB面に収録されています。ですから、マトリックス番号はA面がYAXー1352、B面はYAX516と全く違います。ただ、調べた中で1980年代に発売された「エンジェルベスト100」というシリーズの中で発売されたEAC-81047というレコードはこのFRCと全く同じ内容で原盤番号も一緒でした。

 

 

 クレンペラーの演奏はおしなべてテンポが遅いのが特徴で、冒頭から牛歩の如くテンポで一昔前のスタイルで悠々たるテンポで開始しています。ただ、鈍重という印象ではなく、透き通った弦楽器や軽やかな木管楽器がしっかりとリズムに乗っており、重厚でありながらも重たい印象は受けません。出だしや第2楽章の強奏部で見せる深みのある表現も大変印象的です。じっくりの聴き込むと、真摯さの中にも面白さのある演奏でもあり、特に、ある時はフルートのかわいらしさを前面に出し、またある時は弦楽器をしっとりと歌わせるといった、異なる歌い方で単なるユーモラスな楽章で終わらせない第2楽章は、大変聴きごたえがあります。

 

 第3楽章の優雅さや終楽章のみずみずしさ、そして途中で聴かせる弦楽器の対旋律の美しさも素晴らしく、このオケ特有の品の良さと相まって、最後までこの曲を飽きさせず聴かせてくれます。

 


 さて、B面の「時計」ですが、第1楽章の序奏はゆっくりとした音型で、ニ短調で始まります。イタリア風序曲から始まった歴史を感じさせます。こういう形式はベートーヴェンも引き継いでいて交響曲1ばん、4番、7番辺りで踏襲しています。クレンペラーとしては初期のハイドンの録音ですが、このころから悠々たるテンポで開始しています。まさにスケールの大きなハイドンといってもいいでしょう。じっくりとした序奏部の演奏は短めですが充実しています。一転して第1主題になるとクレンペラーとしては早めのテンポでグイグイと押して行きます。ここでも対抗配置のヴァィオリングンの掛け合いが面白い効果を生んでいます。

 

 第2楽章は確かに時計が秒針を刻むリズムで推移しますが、聴く方も実際の時計の1秒ずつ刻むテンポに拘らない方が良いと思われます。クレンペラーのテンポは聴感上は遅いのですが、これでも実際の1秒よりは遅いテンポです。手持ちの指揮者なら例えばドラティなんかは結構早めですし、アダム・フィッシャーは標準的には聴こえますが、これでも早いです。ただ、本当に時計の刻むテンポだとコンサートでは完全に眠りの世界に入ってしまうんでしょうなぁ。

 第3楽章はメヌエットです。クレンペラーのテンポで聞いていると流石にこのメヌエットは遅いなぁという印象です。印象としては軽やかに音楽が流れるというイメージではなく、腰の据わったどっしりとしたメヌエットになっています。ただ、曲全体で捉えるとこのテンポも有りなのかという気にさせてしまうところがクレンペラーマジックなんでしょう。テンポは重いのですが、弦楽セクションの響きは典雅です。惜しむらくは第1ヴァイオリン軍の響きが主体になっているので音像が左に偏りがちになる点でしょうか。

 最後の第4楽章はクレンペラーのテンポでは早めのイメージの快活なヴィヴァーチェです。全てを締めくくるような圧倒的なスケールでフーガとロンド・ソナタ形式の違いはありますが、モーツァルトの交響曲第41番のフィナーレのような雰囲気があります。クレンペラーも100番の録音よりも6歳若いということでかなりアグレッシブに音楽を作っています。巷の評価では100番の評価が高いようですが、小生が聴いた限りではこの101番も捨てたものではないぞという印象です。