バック・トゥー・1977 最初の海外旅行 16

絵葉書のエッフェル塔
さあ、いよいよ大詰めです。最後の訪問地パリでは11日から15日まで4泊五日の滞在になります。パリではサン・マルシェルを拠点にして、あちこちを観光しました。ここは地下鉄5号線になり、セーヌ川を越えてバステューユで乗り換えれば色々なところに行くことができます。
観光案内所で入手した情報で、着いた11日にコンサートがあることをキャッチしました。これは行くっきゃないということで、チケットは会場で買うことにし、とりあえず場所の確認です。

こちらがそのチラシです。いかにも地味で、注意してみなければ見過ごしてしまうようなチラシです。色々なチラシがありましたが、皆単色刷りでした。で、下がアマデウス四重奏団のチラシです。

そうそう、少し修正があります。上のアントニオ・ヤニグロの演奏会、今の今まで、ザグレブ室内管との演奏会と思っていましたが、よく見ると演奏はカメラータ・アカデミカ・ザルツブルクとなっています。調べてみると、このカメラータ・アカデミカ・ザルツブルク、1974年からコンサートのあった1977年までこのアントニオ・ヤニグロが芸術監督を務めていました。最終シーズンのコンサートだったんですなぁ。
宿泊はパリ13区だったのですが、このコンサートホールの「サル・ガヴォー」はバリ8区にあります。サン・マルシェル駅からは5号線でオベルカンフで9号線に乗り換え、ミニメロル駅に出ます。パリの地下鉄は乗り換えに結構歩く駅がありますが、このオペルカンフもそんな駅でした。ただ、東京で丸の内なんかの乗り換えで歩かされることは体験していましたので、初めてでも余裕でした。会場はそこから歩いてすぐです。
窓口でチケットを買い会場に入ると、席は中央やや後ろというロケーションでした。あまり高いチケットを買った記憶はありませんでしたが、売れ残りの席で多分当日は安かったのでしょう。日本は当日券は前売りより高いですが、外国では当日券の方が安いのが当たり前です。で、この日もその口で隣の席も小生のような若い学生のバックパッカーと思しき男性でした。

1905年に建設された「サル・ガヴォー(Salle Gaveau)」は、建設以来今と変わらずクラシック音楽のコンサートを中心に上演してきました。イタリア様式の優雅なホールで、客席数1000席の中型ホールです。客席2階、3階部分はステージから1階客席部分を取り囲むように馬蹄形に造られ、どこの席に着いても聴こえてくる音色は変わらないように設計されているようです。
この日のコンサートのプログラムです。



1.ディヴェルティメントヘ長調 K.138
2.ピアノ協奏曲第12番 K.414
3.ディヴェルティメントニ長調 K.136
4.交響曲第29番 K.201
アンコール
交響曲第31番K.297「パリ」第3楽章
というものでした。ヤニグロは杖をついてゆっくりと現れました。この時まだ59歳でしたが足を悪くしていてチェロ奏者を断念したのでしょうか。ザグレブ室内管との録音をよく耳にしていましたので、ヤニグロの作る音楽は好きでした。しかし、ヤニグロのモーツァルトは初体験でした。パウムガルトナーの死後低迷していたこのオーケストラの水準を引き上げ、この後シャーンドル・ヴェーグにバトンを渡しています。
今のように刺激的な演奏ではなく、極めてオーソドックスですがヤニグロらしい思慮深い演奏であったような気がします。ところで、ピアニストのGersende de Sabranは全く知りませんでした。フランスでは著名なモーツァルト弾きだったそうです。ピアニストですが、オルレアン公爵夫人でもあったためにレコーディングは多くありません。調べると日本にも来日したことがあるようです。演奏は記憶にないということはそれなりだったんでしょうなぁ。
コンサートは大きな拍手で締めくくられ、ヤニグロはアンコールを演奏しています。当時はモーツァルトの交響曲はそんなに聴き込んでいたわけではなく、演奏されたのがパリ交響曲の第3楽章と気がついたのはずっと後になってからです。この時は隣の学生に聞かれても、知らないねぇというジェスチャアで答えたほどでした。
これがこの旅行で聴けた最後のコンサートとなりまた。