ロシアによるウクライナ併合を新冷戦とする評者に爺は与しない。これはどう見ても新たな帝国主義の時代である。プーチンとしては、ウクライナ政権を信用できず、かといって戦略的要衝とも言えるセバストポリーを放置もできない。議会の意向も踏まえて支持率を上げるために進行を開始したとも言えるであろう。欧米の様子を見れば見事な「クリミヤ戦争」の再現とも言えるであろうし、政治手法は第二次大戦前の旧ナチスドイツのオーストリア・チェコ侵略に酷似している。私の先輩が1956年に遭遇して新左翼に加わる切っ掛けとなった「ハンガリー革命(一般的にはハンガリー動乱)」も彷彿してしまったが、本当に帝国主義の時代に再突入したのだなと実感してしまう。


クリミヤ半島は日本では幕末1953年に勃発しており、当時長崎に来航してきたプチャーチン外交に影響を受けており、又、対大英帝国との交渉にも影を落としている。日本との繋がりは内容で意外とあるのだよ。


只、マスコミはこれを「新冷戦」と位置づけているが先にも述べたように領土確証がプーチン個人の意思だけではなくロシア議会と国民の意思ということは「帝国主義的意思がある」と捉えても良いであろう。


クルミや問題はたしかに時事の問題でもあると同時に歴史性の問題も孕んでいる。ウクライナ人のロシア嫌いは宗教的側面もあり、第二次大戦では一部のウクライナ人がナチ武装親衛隊にも加わっている経過もあってユダヤ人虐殺の関与も疑われている。(詳細はこちら


歴史は繰り返すと言うが、世界史と日本史にも関わりがあるクリミヤ紛争を述べるとは想わなかった。ハンガリー動乱については、爺の人生にも間接的に関わっているので機会があれば書くこともあるだろう。

昔は「日韓条約の批准に反対!」が旗印であった爺達から見ると時代の移り変わりというか、イデオローグの変質というか。


私個人は隣国での嫌日運動は特権階級(ヤンパン)による世論誘導ぐらいにしか見ていないが、話し合いぐらいはやってもいいのではないかぐらいの認識であるよ。妙に反対するよりは会話の席について「大人の対応」をした側の勝ちであると見なすがどうであろうか?



日米韓首脳会談はやるべき? ブログネタ:日米韓首脳会談はやるべき? 参加中
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姪が同人誌に填まっている。中身を見ようとすると「勘弁して」と言っているが、まあ女子の妄想本というか面妖本というか。


私の時もサークルハウスでエロ本が転がっていたのでたいしたことは無いけどね。まあ、私の時はガリ版で刷ったチラシみたいな同人を創った事はあるが、体育会系の連中が中身を見て「ぶちこわせ!」と喧嘩になったか。まあ中身については聞かないでくれ。


只、今では印刷屋などがカラーで製本するなど時代は本当に変わったと実感するよ。爺にとっては羨ましいかぎり。


さて、歴史趣味としては、歴史系の本はないかと姪に聞くと、「こんな本はあるよ」と見せて貰ったが新選組関連の同人誌だったりする。イヤハヤ、衆道本であったり小説系であったりといろいろあるわ。その中で考察系もあり、爺が個人的に注目したのは彰義隊研究の本であったりする。ここまで詳細に調べ尽くしている本というのも凄いと感嘆するが、研究態度が真摯なのが気に入りましたな。研究者を名乗る面々がいろいろいるが、某ブログで芹沢鴨を研究されている方の記事を読んでradicalismでaggressiveなのに呆れてしまったので私としては個人的にも関わりたくなかった(リンクは荒らし行為と誤解を生むので避けさせて頂く)。


同人誌といっても、エログロナンセンスあり、文芸ありと多岐にわたっているし、プロも同人活動を行っているのかと姪に聞いて表現の世界も変わったなと関心するばかりである。

該当する同人誌は、近々紹介するとして創作の世界については昔も現在も本質的な部分では変わらないと改めて想う爺であった。

爺が新選組でさっぱり分からない事がある。


近藤勇が「尊皇攘夷」の志士という事は最近の研究で判明している事は理解した。大和屋焼き討ち事件で粛正された芹沢鴨も、水戸学系の志士であることもなんとなく理解してきた。


余談であるが、最近芹沢鴨について新説を唱えている作家がいるそうであるが、個人的にはこの作家があまり好きでは無い!思想的に爺の考えと真っ向から対決しており、当の作家もブログも運営しているが、書き方に棘があって好きにはなれない!


ま、それは兎も角。


よく「鬼の副長」と言われる土方歳三はどのような思想の持ち主であったのか?


この件、新選組関連本であまりにも触れていないので、なぜ土方の思想について触れていないのか?理解が出来ない。


まさかマルエンじゃありまいが、資本論は実は慶応二年ぐらいに刊行されたというが、それは流石にないであろう。


ジョークは兎も角。土方の思想は新選組では一切語られていないというのも腑に落ちない。


土方ファンの女性一同は「どうでもいい」というかもしれんが、私はどうも気になって仕方が無い。全く思想が無いという事ではないし、語っていないとも思えない。近藤、土方の連携を考えるに近藤べったりだから近藤の思想が土方の思想ではないかとも思えるが、それにしては「土方歳三日記」などというご大層な本をちくま学芸文庫から出版していたが、一読すると土方の思想は何も書かれていないのでかなり気になっている。なぜ?なぜ?なぜ?


これだけの人気者であるのに、イデオロギーを語らないというのも不可思議ではあるのお。


気になったので書いてみた。

明治維新が革命か?そうでないか?


よく言われることだが、私は革命だと思っている。封建的身分制度を打破して、身分差別という悪習を不完全ながら破壊した点は評価はできる。よく小説家でゲスな身分が上昇したと述べているが、それは正に反動でしかない。明治の制度が昭和の軍閥を生んだという識者もいるが、爺はそれに与しない。明治の薩長閥とも言うべき専制制度は、大正デモクラシーによって崩壊したとも言える。但し、近代史に於いては、その後に続く「学閥」とも言える「軍閥」の時代は全く無関係と言える。これをよく混同する小説家がいるが、それこそ滑稽というものである。


「薩長が力を握って維新の果実を手に入らなかった」


的なコメントがあるが、そうではないであろう。言い方が悪ければ、水戸藩のように内戦は全て無駄と言うことになるし、会津藩や庄内藩の敗北も無駄というニュアンスとなる。結果的に自らを貶めているようで、爺としても納得しがたいのお。爺は新選組ファンであるが、滅びの美学はわからんでもないが、奈良本辰也が語る「徒花」とも思わない。維新革命に無駄はないというのが爺の考えである。


但し、爺のやった「しでかし」については・・・まあ、100年の後を待つとするか。