ピクニック・アット・ハンギングロック


「会って下さい 美しい人
高貴さゆえに あなたを愛す
深く 輝く瞳
額の甘美な趣ゆえ
その高貴な物腰ゆえに
あなたを 愛す
綿毛より柔らかく
空気より滑らかで 美しいからでも
あなたの瞳に住む
キューピッドのせいでもない
なぜだか分かるでしょう
あなたが私を愛してるせい 」   

素晴らしい人に愛されているのは私で、その素晴らしさは私を愛しているから…と、さんざん持ち上げて持ち上げて、最後に傲慢さで締めくくる。

こんな詩が書かれた手紙から、この作品は始まる。

オーストラリア・メルボルンから、北に80キロメートル程、ヴィクトリア州マセドン山近くにある、ハンギング・ロック(首括り岩)と呼ばれる奇怪な岩山。1900年2月14日の聖バレンタインの日、そんなハンギング・ロックの麓を、ヴィクトリア調の白いドレスをまとった一団の女性達が訪れた。66㎞離れた、メルボルン郊外のウッドエンドという町にある、アップルヤードカレッジの女子生徒19名と教師2人。本来ならば楽しいピクニックでおわるはずであった。しかしその途中、女学院の生徒3人と教師1人が忽然と消えてしまう。

コルセットを着け、ストッキングの上にブーツ。校内ではあまり季節感が感じられなかったが、ハンギング・ロックへと馬車で向かう途中、町を抜けて手袋を外したときの爽快感から暑かったのだ、と分かる。
 
ハンギング・ロックのあるオーストラリアは、温帯性気候地域であり日本とは季節が逆だが、ほぼ同じ気候ではっきりした四季がある。12月〜2月が夏となっており、この事件が起きた2月14日はまだまだ残暑厳しい頃だったことだろう。

昼食の後、生徒の1人であるマリオンが、岩山の散策をしたいとマクロウ先生に申し出た。マクロウ先生が許可を出したため、マリオンと3人の少女、アーマ、イーディス、そして「ボッティチェリのよう」と言わしめる程の美貌を持つ少女、ミランダが同行した。

4人は純白のドレス姿でハンギング・ロック山頂に向けて歩みを進める。

時間がたってもまったく戻ってこない4人に対して、そろそろ先生たちも心配しはじめていたころ、突然イーディスだけが皆の元に戻って来た。たった一人で、ヒステリックに叫びながら。

一体何が起きたのか、同行した3人はどうしたのか、問いただそうにも彼女は半狂乱で要領を得ない。しかもマクロウ先生の姿まで消えていた。

翌朝、早速捜索隊が結成されるも、4人の行方は一向に掴めない。一方、回復したイーディスの口から、彼女が何を見たのかが語られる。ミランダ、アーマ、マリオンの3人は靴とストッキングを脱いで岩陰に消え、自分は怖くなって後の道を引き返したのだと。またこうも語った。引き返す途中、岩山に向かうマクロウ先生の姿を見かけたが、先生はスカートを履かず下着姿であったのだと。しかしそれ以上のことはイーディスの記憶から抜け落ちていた。

これら最後の目撃証言はイーディスだけであり、それを証明する者はいない。反対に言えばなんとでも言えるということだ。

まず3人の最後の姿を見たときは、ハンギング・ロックで気分が悪くなり横になって寝てしまった後だ。ふと気がつき目撃するが、気分は朦朧としていたはず。それにその場面を目撃したとして、なぜ叫びながら走り出す必要が?

次にミス・マクロウだが、あのロッテンマイヤーさんがどうして下着姿で歩いているのか?すれ違ったということはハンギング・ロックを登っていたということだろうが、どうして叫び泣いている生徒を無視するのか?ミス・マクロウも暴行されて茫然自失状態だったとする説もあるそうだが、ミス・マクロウを暴行するとは考えにくい。

こうした謎を残し、生徒3人と先生1人が忽然と消えてしまったのである。

必死の捜索にも少女と先生たちの行方は決してわからなかった。しかし、事件から1週間後岩場の陰で気を失っている1人の少女が発見される。消えた3人の生徒の1人、アーマであった。

アーマはすぐに町に運ばれ医師の治療を受ける。だが彼女の様子に医師は首を傾げた。事件から一週間が経過しているにも関わらず、手と頭に軽傷を負っていただけで、白いドレスは綺麗なままだったからである。ただし、身につけていたコルセットは失われていた。そして彼女もイーディス同様、ハンギング・ロックで何が起きたかについて、ほとんど記憶していなかった。

やがて捜索は打ち切られ、ミランダ、マリオン、マクロウ先生の3人は、失踪したまま死亡したと推定された。

この事件、実は創作かもしれないという疑惑がある。

映画の原作は、ジョアン・リンゼイというオーストラリアの女流作家が1967年に発表して評判を呼んだ同名の小説である。実際に起こった事件を小説化したということだったが、実は当時の新聞を調べてみると どこにもそんな記録は残っていないという。

小説の作者ジョアン・リンゼイはインタビューのなかで この物語が真実であるかどうかという質問に対して、こう答えているという。

「私は物語が事実またはフィクションかどうかあなたに伝えることができません。しかし多くの非常に奇妙なこと(論理的な説明を持っていないこと)が ハンギング・ロックのエリア近くで起こりました。」 

類似した事件が実際にあったようだが、当時のこの事件を扱った警察署は火事になり記録は消滅、 新聞にも記録は残っていないという。

作者のジョアン・リンゼイは現在すでに亡くなっており、 真実は藪の中ということか。

見えるものも私たちの姿も ただの夢 夢の中の夢・・・