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この記事にはわたしの強迫性障害の加害恐怖についての考えを書いています。医学的な内容ではなく、あくまで私個人の考えです。

また、加害恐怖について、症状の例や私個人の対応方法などを細かく書いています。人によっては読むのを避けた方がいい内容が含まれている可能性もあります。そしてあくまでも私個人の考えですので、すべての方に当てはまる内容ではありません。

十分にご注意ください。

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強迫性障害の人にとって、「失敗」とは、取り返しのつかないことを意味してしまうかもしれません。

私の場合はそうでした(です)。

 

私は加害恐怖がとても強く、失敗が意味するものは「加害」、

つまり「1〜不特定多数」の「誰か・何か」に「最大のレベル」で「害を与える」ことでした(です)。

 

こう思ってしまう様になった原因は様々考えついたのですが、このブログの内容はまた嫌なことを思い出させました。

このブログの様に、失敗を挑戦の結果としてポジティブに捉えることを私自身はしていたのですが、

親、兄弟、親戚、学校の先生・先輩・同級生・後輩・各家族の方々、友達、塾の先生・生徒などなどみーんな、ネガティブに扱っていました。その文化の中で私は「失敗は恥」と何処かで思うようになり、挑戦することを拒むようになりました。やりたいことをやれなくなっていたどころか、空気が読めないとされることを恐れて、コミュニケーションどころか言葉を発することも怖くなっていました。

高校を卒業して実家も地元も離れ、やっと自分の思いのままにいきていけそうでしたが、

自分で立ち上げた活動以外では、大学でもインターン先でも就職先でもみーんなおんなじでした。

 

こんな私なので、所属した組織の中で「挑戦することを応援して、どんどん失敗してもらって、積極的にフォローする」なんてインターンの人たちを支援する方針を掲げて活動したりしましたが、私の中の自己矛盾が爆発したのか、大きな成果を上げることはできなかった様に思います。

 

そんな感じで大きな何かに抗いながらも失敗を恐れつくした私は、強迫性障害と診断されるレベルまで、何もできなくなってしまいました。

 

認知の矯正をとことん行うことで回復はしていますが、

一番大きな矯正は「失敗は挑戦の結果だからいいこと」とか「不安を抱えていてもいい」「不完全でもいい」とか思うようにしたことです。

それだけで、いや、このそれだけがとても難しいことなのですが、大きく回復できました。

私にはとても効果があったようです。

 

大人になっても、考え方や行動、習慣は変えられるんだと思いました。

ただ闇雲に根性論で突き進むのではなく、一歩一歩着実に自分の頭を変えて、行動を変えていくことで、生きやすくなることができるということを体験できました。

なお、この思考と行動のアプローチの順番は、よく行動が先と言われますが、私は相互作用が働いていると思うので、それぞれの人に合ったバランスがあると思って、私なりのやり方にアレンジして行いました。あくまでも私論です。