唐の高宗は674 年に皇帝の称号を天皇に代えたが、この情報が日本に伝わり、持統3年(689年)の飛鳥浄御原令で正式に採用され天武天皇に捧げられ日本で最初の天皇が誕生した。それまでは日本の権力者は大王や大君であったが、このとき神武天皇以下歴代の大王に諡名として天皇が付けられたものである。
天皇は道教の言葉である。
中国には北極星信仰が6世紀中頃まで盛んで、6世紀後半は元始天尊信仰に代わった。その他古くから陰陽5行説など入り乱れ古代信仰には区別がつきにくくなった。唐の高宗の称号は、もとは太で、その後天皇大帝、元始大帝とも称した。高宗は道先佛後として道教を重んじ、ゾロアスター教や外国の宗教など何でも受け入れた。この点については天武天皇も高宗に似ているといわれる。
天皇の語源であるが、古来中国には三皇五帝、すなわち天帝、地帝、黄帝、白帝、赤帝、黒帝、青帝が信仰された。天帝は古代中国の祭祀で、後世成立した道教における最高神である。天帝天皇は元は「大帝」や「上帝」とも呼ばれた。天帝の対語の地帝は万物を支配し、陰陽と太極を司る。
天皇は全てをあらわす「天」と、輝かしいものをあらわす「皇」を合わせたものである。「皇帝」もまた、天帝と同じ位であることを示すために始皇帝が用いた単語である。それ以前に夏や商(殷)、周の諸王が「帝」という単語を至一の尊語として用いた。天帝はそれらを超えて、最上級の尊称である。
古代中国より天子は天帝を祀ることを義務(天義)とされた。これらは歴代の王朝に受け継がれている。当時天帝を祀ることは天子にしか出来ないことで、これを天子の天権といった。
以上、中国の古代思想は複雑であるが、元をたどれば北極星信仰である。北極星信仰は遊牧民からインドに伝わり大蔵経の密教に取り入れられた。仏教では毘沙門天に同じであり「北斗七星」を乗物とする。ただし道教思想とは厳密には異なる。古代中国で道教、儒教、陰陽道等の星信仰と習合したと思われる。
伊勢神宮の遷宮祭は昨年から始まっているが、内宮の柱に太一と書かれていること天皇の祭りの衣裳に北斗七星が描かれていることから伊勢神宮が昔には北極星信仰に関わっていたことが推察される。
中国でその後、天皇も称号が用いられなかったのは天皇が道教の思想だったからであろう。日本では天皇の称号が対隋以降現在まで続いているのは、中国との外交上大王の権威付けをしたかったからであろう。以降、日本人は天皇が道教の言葉であることは気にしなかったのであろう。
中国から移入され新しく誕生した日本の天皇の権力は当時如何であったか。今年の新聞に最近発掘された天武天皇の宮の規模が意外と小さかったことと、これに反して蘇我氏の宮殿が驚くべく巨大であったことが報じられていた。蘇我氏が大王(天皇)であったという説もあるが、昔から天皇は権力の象徴として利用され、それは幕末まで続いた。昭和天皇は(象徴的に)日本歴史上最大の国家権力を持つようになったが、敗戦により神から人になり昔の象徴天皇に戻ったのだ。