【一部転載】
12月のプーチン訪日。領土問題はどうなるのか
『プーチン大統領のすべて』より引用
さて、プーチン大統領が12月に訪日するわけだが、最大の問題は領土問題である。
私たちは、領土問題を考える時、必ず把握しておくべき歴史的事実がある。残念ながら、日本国民のほとんどが領土問題に高い関心を持ちつつ、この歴史的事実を把握していない。それを列記しておきたい。
① 1945年8月15日 日本はポツダム宣言を受諾した。ポツダム宣言は領土に関し「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ 」と定めた。
② 1945年8月18日 トルーマン米大統領はソ連のスターリンに対して「一般指令No1を、千島全てをソ連軍極東総司令官に明け渡す領域に含むよう修正することに同意します」と発信した。
③ 1946年1月 連合軍最高司令部は,日本の範囲に含まれる地域として「四主要島と対馬諸島、北緯三〇度以北の琉球諸島等を含む約一千の島」とし、「竹島、千島列島、歯舞群島、色丹島等を除く」とする訓令を発した。
④ 1951年9月8日 日本は「日本国は千島列島に対するすべての権利、請求権を放棄する」内容を含む、サンフランシスコ講和条約に署名した。
⑤ 1951年9月7日 吉田全権は「千島南部の択捉、国後両島が日本領であることについては帝政ロシアも何らの異議を挟まなかったのであります」と主張した。吉田首相の演説は「千島南部の択捉、国後両島が日本領である」という「択捉、国後固有の領土論」は国際的支持を得られず、日本は千島列島全体の放棄を受諾せざるを得ず、かつ、択捉、国後を千島南部と位置付け、放棄した千島に入れている点で重要な意味を持つ。
⑥ 1956年8月19日 ダレス長官は二島返還で妥結を図ろうとする重光外相に対して、「もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたら、沖縄をアメリカの領土とする」と発言する。ダレスの恫喝と言われる。
⑦ 1956年9月7日 米国務省は「日本はサンフランシスコ条約で放棄した領土に対して主権を他に引き渡す権限を持っていない」とする覚書を日本側に手交する。
⑧ 1956年10月19日 「日ソ共同宣言」が署名され、「ソ連は歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。この諸島は、平和条約締結後に引き渡す」が盛り込まれている。
こうした中で、平和条約を結び、歯舞・色丹の返還を実現するのは日本にとっての一つの選択である。
冷戦時代、米国は日ソ間に領土問題を持たせることによって、日ソ間に緊張を持たせることを図った。
冷戦終了後、米国は、ロシアのエリツィン政権の後押しをした。そのためには資金協力が必要で、日独の資金協力を期待した。しかし、領土問題のある日本はこれに躊躇を示した。
すると今度は、米国は日露双方に、「領土問題で日本の資金提供ができないのは困る。だから領土問題を促進させろ」と圧力をかけた。ということで、安倍政権の領土問題へのアプローチは後者の流れを汲む。
ただ日本が、現時点で領土問題の解決を図る中で、留意すべき点が2つある。ロシアの世論と、米国の動向だ。
本年5月27~30日に実施したロシアの「レバタ・センター」の世論調査では、二島(歯舞諸島及び色丹島)引き渡しによる「妥結案」に賛成は13%、71%が反対である。プーチンといえども世論を無視できない。
他方、アメリカについては次の動きがある。
アメリカ国務省のカービー報道官は9月30日の記者会見で、「日本とロシアが両国の外交関係を検討のうえ、決断したことだ。アメリカ政府が懸念したり心配したりするものではない」「ロシアのウクライナでの行動やクリミアの併合について、われわれは懸念をしており、今はまだロシアとの関係を通常の状態に戻すべきではないという考えは変わらない」と述べている。
最後に、私自身の個人的なことを述べておきたい。
私は1968年チェコ事件の直後、モスクワ大学に一年滞在した。そしてその後、1969年~1971年、1978年~1980年の2度在ソ連大使館に勤務した。
ソ連に対する深い思いがある。
それで、本編を、ソ連の詩人エセーニンの詩の紹介で締めくくりたい。これは私の『小説外務省 尖閣問題の正体』で締めくくった詩でもある。
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わが思念を去らぬものー
なにゆえに カレ(注・キリスト)は処刑されたか?
なにゆへに カレはその首をいけにへに供えたか?
カレはスボタの敵、それゆえ高く頭を持し、
ひるまず 汚臭に刃向ったのであろうか?
光も影もカイサルのクリトに溢れるその国でカレは
貧寒な村々の一握の漁夫を語らい
金権のかしら カイサルに立ち向かったのではなかったか?
(省略)
わたしは好まぬ。奴隷の宗旨を
世々恭順なあの宗旨を
わが信は奇蹟につよく
わが信は人の知と力にあつい
私は信ずるー
行くべき道を歩み
ここ この大地に生身を捨ずしていつか
われならずとも誰か
まこと 神のきわに至ることを
(『エセーニン詩集』 内村剛介訳)