シンガポールは かつては、マレー系住民が大半を占める人口約1000人の一漁村があるにすぎなかった島。
現在のシンガポールの人口は約300万人(シンガポール国籍保有者および永住権保有者)で、その民族構成は、華人系77.3%、マレー系14.1%、インド系7.3%、その他1.3%である。
周辺を敵国(マレーシア,インドネシア,ブルネイ,タイ,ベトナム)に囲まれて、国内は主要民族(華人)が少子化で、マレー人に対抗するため華人の人数増やすべく中国本国から嫁や移民を引き入れている。
シンガポールは多民族国家と言っても華僑主体なので中国の海外領土みたいなもの。おまけに中国系シンガポール人は超親中。
また※李光耀は「2世代後には中国語が母国語になる」と言っていた。
※李光耀 リー・クアンユー(英語: Lee Kuan Yew, 漢字・中国語: 李光耀、日本語読み:り こうよう、 1923年9月16日(旧暦8月6日) - 2015年3月23日)は、シンガポールの政治家、初代首相。首相退任後、上級相、内閣顧問を歴任した。 初代首相就任以降、長期にわたり権威主義的政治体制、いわゆる「開発独裁」を体現し、独裁政権下ながらシンガポールの経済的繁栄を実現した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%A6%E3%83%BC
マレー人の海にぬけぬけと居座る中国人の島
独立後のマレーシアは英国人の手先になってマレー人を搾取してきた華僑との共生を嫌い、彼らを現在のシンガポール島へ追い出した。
だから建国の祖が英国人トーマス・ラッフルズにされた。公用語は英語、国歌歌詞はマレー語、文化はごちゃまぜ国籍不明状態。「マレー人の海に浮かぶ中国人の島」という負のイメージをごまかすため。
侵略者の手先をヒーローに祭り上げる感覚も日本人にはよう解らんが、植民地時代自らイギリスの手先になってマレー人を搾取していた華僑の国のシンボルとしてふさわしい。
http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB
2.シベリアも中国に乗っ取られようとしている
ロシアは人口の減少にあえいでいる。
2002年、ロシア政府は12年ぶりの国勢調査を行った。 その結果、ロシアの人口は、1989年の1億4738万人から、ソ連崩壊を経た2002年には1億4360万人と減少した。極東の人口が過去十年間に約百三十万人減少し、深刻な人口動態の悪化が進んでいる。
バイカル湖以東の極東の人口は、1991年の800万人から昨年は668万人まで減少した。
ロシア全体でも人口は毎年70万人ずつ減っているが、極東の減少率はロシア平均の四倍に上る。
この極東地方における人口減少に反比例するかのように同地方に流入する中国人不法移民の数が増え続けている。
ロシアの非公式統計によると、現在すでに二百五十万-五百万人の中国人が合法・非合法に極東を中心とするロシアに浸透して一定の労働力を担っているとされる。
ロシアの有力紙「独立新聞」によると、ロシアにおける中国人の数は2010年までに800万から1千万人に達し、民族別ではロシア人に次いで第二位になる可能性があるとのこと。
ロシアの極東・シベリア地方は、その自然環境の過酷さから生活は苦しくウラル山脈の東側にはロシアの総人口の二十分の一しか住んでいない。逆に、中国は総人口13億で、年間約千三百万人ずつ増えている。
ロシア極東地方に隣接する満州・東北地方には1億4千万人の中国人が住んでいる。
自然、浸透圧の原理で人口密度が濃過ぎる中国側から希薄過ぎるロシア側へと人口は間断なくしみ込んでいく。
中国人一人に居住証を出せば、親族ら千人がやってくる。
中国人の流入問題は極東地方各地で様々な問題を引き起こしている。
まず、犯罪の増加。 中国人の不法滞在や密輸が急増し、極東で発生する中国人による犯罪は一年に1万件に上る。
次に、シベリアの希少動植物に対する中国人の密漁の増加。 当局が摘発する密輸の件数も年々増加し、シベリアの原生林に生息するヒョウ・アムールトラ・ヒマラヤグマ、ジャコウジカといった絶滅危惧種が密猟者たちの標的にされるほか、彼らのすみかである森林も違法伐採の対象となっている。
「中国に占領される」と公言してはばからない極東ロシア人
アムール川とは中露国境を流れる川で、モンゴルや中国国内にも支流を持っています。中国名は黒竜江。4300メートルもある大河です。
この写真をみれば、中国が近いことはすぐにわかりますね。冬は凍るのですが、凍った川面に道路をつくり、バスが走ります。国境警備隊が警備していますが、冬は中国側に歩いて不法越境するものもいます。
なぜ、中国側にいくのか?それは、ロシア極東地方は、生活用品をほとんどすべて、中国生産の安価なコピー製品に依存しているからです。ですから、中国側から行商たちが川をわたって、どんどんやってくるのです。
このサングラスが売れる、売れる。一個1000円ぐらい。原価はいくらなんでしょうね
ハバロフスクにはすでに中国資本のビルが建ち、市長も中国経済にすりよっている姿勢を見せています。
ハバロフスクで、北東アジア経済会議なるものが開かれたとき、ハバロフスク市長は日露と中露の経済関係について聞かれ、こう答えたそうです。
「中国は陸でつながっているから。日本とは海をへだてているしな」
ハバロフスクには当然、中国から輸入されている商品が売られる市場ができます。
服はすべてコピー商品です。中国人の売り子が、ロシア語の数字を羅列してセールスしにきます。
後ろに見えるのは釣竿。中国人売り子のために、屋台も出るのです。
ハバロフスクよりさらに上流に行き、ブラゴベシチェンスクという街では、すでに中国との間に橋がかかっています。
一見、友好関係に見えるアムール川をはさんだ両国ですが、昨年事件が起こりました。
それは、中国側の支流にある工場が、有毒な化学物質を川に垂れ流し、それを数日間、発表しなかったのです。
この事件をきに、潜在的に中国側を警戒するロシア人たちの怒りが大爆発。
特にハバロフスクでは、スーパーなどでペットボトルの飲料水の買い付け騒ぎが起きました。新聞は連日、その有毒な化学物質がいつごろ、ハバロフスクにやってくるのかを試算して報道しました。
この騒動は、政府同士では仲が良いとみられる中露の土台は、砂上の楼閣であることを示したのです。
これはハバロフスクのダーリナバンク銀行の支店。ごらんの通り中国語表記。ハバロフスクで最も必要な外国語は中国語なんです。
私があったロシア人は、口々にこういいました。
「私たちは人口が減っていき、将来は中国人にのっとられるのさ」
事実、こうした現象も起こっています。 羽振りの良い中国人商人は、中国では認められないロシア人娼婦をロシア側で買うのです。
その結果、出てきたのが中露のハーフ。アムール川沿岸にはいま、中露のハーフの子どもたちが増えているのです。
中国経済の鎖にどっぷりととらえられてしまったロシア極東。国境を越えてまで勢力範囲を膨張させる中国に対する警戒感は強いのです。
3.ウイグル人絶滅作戦1
米国で最も人気の高い科学雑誌「サイエンティフィック・アメリカン」最新号が、中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区で中国当局が実施した40数回の核爆発実験の放射能により、数十万ものウイグル住民が死亡した可能性があるとする記事を掲載した。
記事は、ウイグル人医師のアニワル・トヒティ氏と札幌医科大教授で物理学者の高田純氏の合同調査結果を基礎に書かれたもの。高田教授は同自治区のシルクロード紀行番組を長年、放映したNHKの核実験無視の姿勢を非難している。
「サイエンティフィック・アメリカン」7月号は、「中国の核実験は多数の人を殺し、次世代を運命づけたのか」「中国が40年にわたり核爆弾を爆発させたことで、放射能の雲は住民の上を覆った」という見出しの記事を掲載した。
同記事はまず、トヒティ医師が新疆ウイグル自治区で1973年の子供時代、3日間、空が黒くなり、土砂のような雨が降ったのを目撃し、後年、それが核爆発の結果だったことを認識したと指摘。その上で「シルクロード上のロプノル実験場における、1964年から 96年までの40数回の核爆発による放射能の結果、数十万の住民が死んだ可能性がある」と報じた。
記事はさらに、現在、英国やトルコを拠点にウイグル人の放射能被害を研究するトヒティ医師が、高田教授と「ロプノル・プロジェクト」という共同研究を進めているとし、高田教授の「新疆ウイグル地区で放射能汚染のために19万4千人が死亡し、120万人が白血病などを病んだ」という算定を伝えた。
「サイエンティフィック・アメリカン」は米国だけでなく国際的評価が高く、同誌が今回、事実として正面から伝えた「シルクロードの核汚染」は、それを否定してきた中国政府にも厳しい詰問となる。
また、高田教授はNHKが長年、シルクロードの番組を放映し、多数の日本人観光客に核汚染が明白な地域を訪問させながら、核爆発については一切、沈黙してきたとして今年4月、公開質問状の形で抗議した。
NHK側は、「(放射能汚染についての)認識は放送当時も現在も持っていない」と回答したというが、今回の米国の科学雑誌の記事は、高田教授側の研究の成果や意見に国際的認知を与えたこととなる。
4.ウイグル人絶滅作戦2
中国が、ウイグルで民族浄化作戦を展開している。
民族浄化には、一定の民族を「絶滅させる」ために直接、市民を大量虐殺する方法と、その民族独自の宗教・習慣・文化・言語を「取り上げ」、一定の文化そのものを破壊し、存在させなくさせる方法がある。
後者は日本人に対し、日本語の使用を全面的に禁止し、寿司・刺身・和食を食べる事を違法行為・犯罪とし、コメの生産を犯罪行為として禁止する等の事態に該当する。
現在、中国政府は7歳~14歳までのウイグル人の子供をウイグル地域から「強制連行」し、漢民族の居住地域で生活させ、教育を受けさせている。つまり中国語を使う教育を強制し、ウイグル語を地球上から消滅させようとしている。そして中国文化の中で育て、ウイグル文化に「一切触れさせない」ようにし、ウイグルの文化の継承者が居ない状況を作り、その文化を破壊している。
これは民族虐殺に等しく、文字通り「民族浄化」である。
中国政府の政策は、ナチスの行ったユダヤ人虐殺と同等であり、本来、多様な文化・言語が地球上に多数、存在する事によって、相互に影響を与え合い、新しい別の文化・文明が次々と作り出されてきた人類の歴史に対する「虐殺行為」である。中国政府の政策は全人類への「冒涜」「犯罪」である。
また、中国政府は、若いウイグル人女性を40万人、漢民族の済む天津、青島へ「強制移住」させ、ウイグル人同士の結婚を「事実上」禁止し、ウイグル人と漢民族の結婚・混血を強制している。これはウイグル人を「地球上から絶滅させる」ウイグル人絶滅政策であり、ナチスのユダヤ人虐殺と同一の政策である。
これは仮に、日本政府が、日本人同士の結婚を禁止するため、若い日本人女性を全員アメリカへ強制移住させ、事実上、日本人女性にアメリカ人との結婚しか「認めない」政策を取る事と同じである。
しかも、強制移住させられたウイグル人女性は、安い賃金で一日12時間も労働を強制され、宿泊施設は衛生環境の悪い汚れきった部屋に閉じ込められ、刑務所での生活のような人生で「若い時代を浪費」させられている。
これは中国人によるウイグル人の事実上の奴隷化である。
またウイグルの宗教はイスラムであるが、中国政府は18歳以下のウイグルの若者達にイスラムのモスク(寺院)への出入りを法律で禁止している。
そして、イスラムの習慣である「ラマダン=断食」の時期に、ウイグルで食糧の配布を意図的に行っている。これ等は明らかなウイグルの宗教・文化に対する破壊工作であり、極めて悪質な「民族浄化・虐殺」である。
これが中国を「表に立てて行う、ロスチャイルドの世界帝国の支配原理」である。
ウイグルは、明日の日本の姿である。
5.チベット人絶滅作戦
* 1959年の3月チベットの首都のラサで「改革解放」の名のもと「民族浄化」が開始、殺戮・破壊・強奪・強姦が行われた。
* 15万人の僧侶と尼僧は公開虐殺によって1400人に減らされた。 僧侶に対しては、滑車を使い仏像の重みによる絞首刑や、尼僧に対し警棒の形をした5万ボルトのスタンガンを性器に入れて感電死させ彼女の死体は裸のまま路上に捨てられた。
* 一般民衆の犠牲者は120万人におよぶ。中国は「強制断種(チベット男性の生殖機能を手術によって奪う事)」や「強制交種(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つ事)」等の民族浄化に力を入れた。
* 生き残った証言者によると、親の死体の上で子供に泣きながらダンスをさせ、人民解放軍はそれを笑いながら銃殺した。
「妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。」 特に尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。 ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。
拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、 「仏陀に腕を返してもらえ」 と嘲笑された。 大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、 馬や車で引きずり殺されていった。
アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに小便をかけるように命じられた。
さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」 と中共兵に嘲られ、挙句に全員射殺された。おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。
貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。僧院は馬や豚小屋にされるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。
リタン省長は村人の見守る中で拷問され、射殺された。 何千人もの村民は強制労働に駆り出されそのまま行方不明になっていった。
僧院長たちは自分の糞便をむりやり食わされ、 「仏陀はどうしたんだ?」 と中共兵に嘲られた。
* 「ジュネーブ法律家国際委員会」が受理した供述書によると「何万というわが国民が殺された。軍事行動においてばかりでなく、個人的に、また故意に殺されたのである。
彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまでむち打たれたり、磔にされたり、生きながら焼かれた。ある者は生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたりして殺された。こうした殺人行為はいずれも公衆の面前でなされた。犠牲者の同じ村人、友人たち、隣人たちは、それを見物するよう強いられた。」とある。 -- (東亜から転載) 2008-03-19 10:46:18『中国はいかにチベットを侵略したか』 マイケル ダナム著
妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。 尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。 拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。 大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。
さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と嘲られ、挙句に全員射殺された。おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれた。 -- (名無しさん) 2008-03-19 21:09:31
鉄砲でやられてる犠牲者の写真
http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080318c.html
6.法輪功根絶
【大紀元日本12月15日】中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。
瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。
証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…
調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。証人:女性、女性でした。
調査員:若い女性ですか。証人:30代だったでしょう。
調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。証人:叫んでいました。
調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。
証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。
物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。
それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。
彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。
彼らの手はちっとも振るえず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい」と。
調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。
証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか、と。
この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。
心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。
証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。
われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼女は美人なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…
調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。
証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。
調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。 証人:まあ、そんなものでした。
調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。 証人:そうです。
調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。
証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。
調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。 証人:2002年4月9日でした。
調査員:4月9日でしたね。証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。 その後、1ヶ月ほど続きました。
調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?
証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。
調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。
証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。
http://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html