当時米軍は南方のアリューシャン列島から順々に駒を進め、1944年7月9日 サイパン陥落1944年10月~ フィリピンの戦い開戦1945年3月26日 硫黄島陥落徐々に日本本土へと近づいてきました。
そして、1945年4月1日連合軍による沖縄上陸作戦が開始しました。
沖縄では軍人・民間合わせて18万人を超える被害が出ました。多くは避難中に銃弾に被弾をしてなくなった方、そして米兵に捕まりたくない一心で自決をされた方々です。
良く民間人へ自決を日本軍が強制したといわれますが、そんなことは一切なく、連合軍が様々な戦地で行った「非人道的」な子供の虐殺や女性への強姦など沖縄にも話がはいっており「家族を護るために」と自決された方が多いそうです。
沖縄を護るために、特攻隊も戦いました。特攻作戦で亡くなられた方のほとんどが、この沖縄戦に参加された方々です。
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戦艦大和も沖縄の人々の物資を運ぶために沖縄に単身向かったのです。そして女学生たちの挺身隊も最後の最後まで兵隊さんたちを支える為に戦いました。
昭和天皇はご生前、戦後始めた全国行幸の中で「沖縄にいかねば」とおっしゃっていたそうです。
その思いを病床に就かれた後、お詠みになられた御製にも表れておられました。
「思わざる 病となりぬ 沖縄を たずねて果たさむ つとめありしを」
こうした多くの日本人の先輩がいたからこそ、今平和な日本があるのです。