神風特別攻撃隊と名が付く部隊はすべて米艦隊への体当たりを目的としたものです。
大日本帝国海軍、神風特攻隊では1298機というのが現在固定された概念です。神風は「しんぷう」と読んでいました。
神風特別攻撃隊
「大和隊」「敷島隊」「朝日隊」「山桜隊」「菊水隊」「若桜隊」「彗星隊」「誠忠隊」「忠勇隊」「義烈隊」「純忠隊」「初桜隊」「至誠隊」「零戦隊」「神武隊」「神兵隊」「葉桜隊」「天兵隊」「桜花隊」「梅花隊」「左近隊」「白虎隊」「鹿島隊」「神崎隊」「神武隊」「時宗隊」「正行隊」「香取隊」「飛神隊」「二座水偵隊」「第二朱雀隊」「第二桜花隊」「第二白虎隊」「第五聖武隊」「第六筑波隊」「第七昭和隊」
です。
他に「陸軍特攻隊」が出動しており、これも1185機という数字が有力視されています。正確には、陸軍は「特別攻撃隊」海軍は「神風特別攻撃隊」と呼称したが、総じて「神風(カミカゼ)」と認識されていると思います。
特攻は航空攻撃のみならず、人間爆弾(桜花)、人間魚雷(回天)もあり、更にはモーターボートに爆薬を積んで突っ込む「震洋」というものありました。
特攻戦死者数、14,009名という記録が残っています。
海外の評価
前近代的な狂信的な行動であるとして欧米諸国、特にアメリカでは、特攻隊の攻撃方法は"クレイジー"と評された。また大日本帝国が単なる軍国主義国家というだけでなくナチスドイツと同じような悪しき狂信的集団であるという見方を確定した。これは戦後の日本の民主化政策に大きく影響した。
一方、一部のイスラム諸国では国民感情が反米であることもあり、日本人は勇敢であるとの意見も一部存在する。
ドイツのゲーリングは『(自滅を前提とするのは)ゲルマン的な戦い方ではない』との見解を示している。また、開戦当時イギリス空軍機がドイツ海軍艦艇に対して爆撃時被弾後突っ込んでおり、それを評して「英軍はパイロットが負傷して帰還不能となると突っ込んでくる場合がある」と防空上の警戒をしている。もっとも、戦争末期帰還が極めて難しい人間魚雷(攻撃時に脱出し、後捕虜になるという前提)に志願者が女性も含めて多数の応募の事実があり、実際少ないながらも戦果があった。
一方でスプルーアンス提督は効果がきわめて高いと分析していた。負傷もしくは機体の損傷によって死が避けられないならば、敵に損害を与える可能性が高い体当たりの方が合理的だということである。
アメリカでは特別攻撃隊の報道はアメリカ軍兵士の戦意喪失を招き、銃後の家族に不安を与えるとして規制され、後に一括して報道された。しかしその報道はルーズベルト大統領の死と重なったために、国内での衝撃はほとんど無かったともいう。
ただし、戦場においては、キリスト教的思考(自殺が禁じられている)では理解不能な攻撃に対し、恐怖でノイローゼに陥る兵士もいた。あるアメリカ海軍空母機搭乗員は「私達はカミカゼ(神風)が怖かった。10人のうち7人は涙を持って迎え、後の3人は憎しみをもってこれを撃ち落した」と証言している。
また、フランス人記者のベルナール・ミローは、著書『神風』の中で、「散華した若者達の命は・・・無益であった。しかし、これら日本の英雄達はこの世界の純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた」と述べ評価している。
且つ「西洋文明においてあらかじめ熟慮された計画的な死と言うものは決して思いもつかぬことであり、我々の生活信条、道徳、思想と言ったものと全く正反対のものであって西欧人にとって受け入れがたいものである」とも述べている。
この理解不能性、恐怖や不安は、アメリカをして日本本土への無差別爆撃の強化や原爆投下を促す一因になったとも言われる。
戦後も、アメリカを始めとする諸外国における大方の評価は“クレージーな作戦”もしくは“戦法と呼べぬ戦法”であったと言う全否定的なものである。この評価の根底には、永年に渡って養成してきた貴重な人命を無駄に消耗させ、しかも数少ない貴重な資源や兵器を消耗させるだけであったことや、戦争指導者達が先の見通しを持たず、ただ流れに任せて無責任に命令を発していたことが多かったということが大きく作用している。
また、特攻隊員に対しても「狂信的な国家主義に洗脳された」という、どちらかといえば否定的な見方が一般的であったが、実際に彼らと戦った多くの退役軍人は敬意を表している。
米艦隊撃退数
撃沈
護衛空母3
駆逐艦13
護衛駆逐艦2
機雷戦艦艇3
輸送船9
上陸用舟艇12
その他7
撃破
空母13
護衛空母20
戦艦11
巡洋艦11
駆逐艦84
護衛駆逐艦24
水上機母艦5
機雷戦艦艇36
輸送船29
上陸用舟艇19
その他16
以上の戦果を通常攻撃で与える事は不可能です。
特攻隊員戦死者数(2008年09月現在確認)
海軍
海軍航空特攻隊員:2,531名
特殊潜航艇(甲標的・海竜)隊員:440名
回天特攻隊員:104名
震洋特攻隊員:1,081名
合計:4,156名
陸軍
陸軍航空特攻隊員:1,417名
丹羽戦車特攻隊員:9名
陸軍海上挺身隊員(マルレ):263名
合計:1,689名
この他に第二艦隊戦没者、回天を搭載して出撃し未帰還となった母艦潜水艦搭乗員、移動中の乗船海没などにより地上戦に参加した戦没者等の特攻作戦関連戦没者
第二艦隊戦没者:3,751名
回天部隊関連戦没者:1,083名
震洋部隊関連戦没者:1,446名
陸軍航空関連戦没者:177名
海上挺身隊関連戦没者:1,573名
空挺部隊関連戦没者:100名
その他(終戦時自決・神州不滅特攻隊、大分702空等)戦没者:34名
合計:8,164名
以上、合計14,009名を数える。