学生の時におコタに潜って何気なく見た映画が忘れられません。クリスマス頃だったと思います。
『ファニア歌いなさい』
ナチスのユダヤ人強制収容所、アウシュヴィッツへ入れられた音楽家が収容された人々の中で音楽の才能のある人たちを集めて楽団を作るよう命令されます。実在した歌手で音楽家のファニア・フェヌロンの回想録をテレビ映画にしたものだそうです。
極寒の中でも良い音を出さなければ粛清されてしまう。ヘタクソに弾いたら使えない奴として消されてしまう。オーケストラ員たちは命がけで演奏をします。
ボロボロの衣服。髪は切られ頭に布を巻いています。寒さをしのぐため先に亡くなった人の衣服を剥いで重ね着するのでしょう。演奏用の衣装もなにもあったものではありません。
音楽を奏でながら彼女たちの眼は恐怖と飢えと寒さで血走っています。
収容所の看守たちはそんな女性収容者の寄せ集めのオーケストラを聴きながら食事をします。
彼ら、料理を美味しく食べられたのでしょうか?音楽を楽しめたのでしょうか?不思議でなりません。
『わたしの親友、アンネ・フランク』
今年、ネトフリで見ました。アンネ・フランクの友達、ハンナ視点で描かれテレビ映画です。これまた実在したアンネの親友、ハンナ・ゴスラーの実話がもとだそうです。
「アンネの日記」は子ども用にインスパイアされたものや2次創作みたいに思えるものもありますが。原本訳したものはかなりシビアです。そりゃそうですよね。日記は本来は他人の目に晒されることはないと思って本音で書きますもん。死後、父の手によって(父親ともそれなり確執があったし。それを和解できるまで生きられなかった)世界中に自分の日記が晒されるのをあの世でアンネはどんな気持ちだっただろうかと思うと心が痛いです。
ハンナはアンネがどんな日記を書いているかなどと知るよしもなくアンネのことを親友として崇拝しています。アンネが危機の際には「必ず助けに行く」と誓いをたてます。
ハンナとアンネは同じベルゲン・ベルゼンの収容所に収監されます。(まがまがしく聞こえますよね、音感が。ベルゲン・ベルゼンって)収容棟は違っていて会うことはできませんが、ハンナは命がけでアンネを探し当てます。そして、感染症と飢えで死にそうなアンネに収容仲間から巻き添えになって殺される!と非難されながらも食料を集め塀の穴越しに手渡します。「アンネを助ける」という誓いどおりに。
迫害にあうまでのアンネは決して清らかで優しくて好ましい良い少女というかんじではありません。どちらかというと今でいうスクールカーストの上のほうで手下に命令して威張ってる生意気な女の子です。ハンナのほうはそんなアンネのリーダーシップに憧れて必死でついていくパシリみたいです。
それでも!!!アンネの命もハンナの命もどんな人間の命もゴミかすのように扱われていいはずが無い。ナチスは許されない、決して許してはならない。
そして今年見て、録画して何度見返して飽きない映画
『黄金のアデーレ 名画の帰還』
あの、クリムトの金色の女性の絵、もともとはユダヤ人一家のものだったんですね。
それが戦争中にナチスに奪われてナチスに同化していた当時のオーストリア政府のヴェルヴェデーレ美術館に飾られていたんですね。
音楽と芸術を愛する麗しいオーストリア国民がナチスに傾倒していた、ってのを知ってちょっとショックだったんですが。考えてみれば、あのサウンド オブ ミュージックもナチスが嫌で逃亡したオーストリア一家の話だっけ、と思い返しました。
ユダヤ人迫害をもう過去のものとしてしゃあしゃあと口答えしてくるオーストリアの美術館役人が小憎らしい。
愛する両親に最後の別れを告げ、何気ない風を装って家を出て着の身着のまま国外逃亡を決行するマリアと夫を執拗に追いかけるナチス将校がほんとうに憎い。何故、制帽にドクロのマークがついてるんだろう?あれ、ほんとかな?ナチスって自分、悪者です、ってマーク着けてたんですかね?
なぜ、あれほど、残虐なことが人間にできたのか?残虐なことを強いられている人を見て楽しめる心を持てたのか?面白かったのか?嬉しかったのか?
わかりません。ほんと、わかりません。
今年も終わる。心楽しい、クリスマスが来る、年末が来る、と思うとその真逆なもののことを考えてしまうんです。
意思的な唇の若い頃のマリア。
年取ったマリアが「エスティローダーのリップを長年愛用している」と言うところに
茶目っ気ある品の良さにほっとさせられます。