オスカルよりもおれが一段先に降りていて本当に良かった。
中二階の踊り場でオスカルは何を思ったかふと後ろを振り返ったのだ。
途端足を踏み外した。
あっと思う間もなくオスカルの身体を受け止めたが勢い余って二人して階段をごろんごろんと転がり落ちてしまった。
「いたた・・・大丈夫か?オスカル?」
言いかけて息を飲んだ。
俺が俺の上に乗っているのだ!
いや、つまり、俺の身体の上に俺が乗っているのだ。
床に仰向けになっている俺はひどく吃驚した目で俺を見つめている。
なにが起きたんだ?
俺は魂が抜けてしまったのか?オスカルは?
オスカルはどこだ?
「オスカル!!」
声を上げ驚いて思わず喉をおさえた。
これは、オスカルの声。そして喉をおさえたほっそりとした白い手を見てまた仰天した。
この手はオスカルの手??
俺が俺の声で叫んだ。
「アンドレ?!」
あろうことかあるまいか、階段から転がり落ちた衝撃でオスカルと俺は体が入違ってしまったのだ。
「とにかく!このまま出仕しよう!今日はブイエ将軍はじめ軍幹部の閲兵がある!」
俺の身体のオスカルが叫んだ。
「だが、しかし・・・!」
オスカルの身体の俺が叫ぶ声が聞こえているかいないのか、俺の身体のオスカルは、早や、馬に跨ると駆け出して行った。
オスカルの身体の俺もあわてて追いかける。
「待て!俺の身体が先に行っても、おまえの身体が行かなければ・・・!オスカル!待てーー!!」
はあはあと息を切らして司令官室へと走る。
俺の身体のオスカルはどんどん先へ走って行く。オスカルの足は俺よりも歩幅が狭い。だが、身は軽い。だが、案外胸が揺れる。いかん。今は余計なことは考えるな。
一足先に俺の身体のオスカルがばーんと音を立てて扉を開けた。
「すまん!諸君!待たせたな!」
将校たちが一斉に俺の身体のオスカルを見る。
「たかがジャルジェ家の一兵卒がなんと偉そうな口のきき方!」
「何様か」
「けしからん!」
「営倉へ入れろ」
俺の身体のオスカルは慌てて口を押え後から来たオスカルの身体の俺の背中にまわり両手でぐいっと押し出した。
「・・・と、主が申しております・・・」
オスカルの身体の俺を前にした将校たちは途端にびしっと居を正した。
「す、すまん、遅れてしまった。」
オスカルの身体の俺が言う。
「いえ!只今から点呼を取るところであります!隊長におかれましては何事かございましたか?なにか容易ならぬ事態でも起きましたか?」
オスカルの身体の俺はちらっと俺の身体のオスカルを見る。俺の首はぶんぶんちぎれんばかりに振られている。
「黙ってろ!」
俺の身体のオスカルがこそっと言う。
「いや、なにも。問題ない。間もなく将軍たちも参られよう。では、全歩兵部隊を練兵場へ。騎馬部隊は正面入口へ整列させよ。」
オスカルの身体の俺はいつものオスカルの口調を真似して言う。
「ははっ!」
将校たちが一礼して出て行く。
「オスカル!!俺には正式な閲兵式の式次第なんぞわからんぞ!!」
二人だけになるとオスカルの身体の俺が俺の身体のオスカルに喚いた。
「落ち着け!アンドレ!本日は国王陛下をお迎えしての軍事教練ではない。いつもの教練にちょっと色をつければ。大丈夫だ、ごまかせる。将軍たちは年寄りだ、この暑さの中、どうせ彼らもさっさと切り上げたいはずだ。」
俺の身体のオスカルがなだめる。
「あああ!なんてことだ!!」
オスカルの身体の俺が天を仰いで叫ぶ。
「声が高い!」
「おまえの声だろう!」
なんということだ!わたしの身体とアンドレの身体が入れ替わってしまうとは。しかも、この厄介な閲兵式の日に!
ブイエ将軍にこれこれこういう事情で今日は欠席しますなどと弁解するのは死んでも嫌だ。
というか、あのじいさま、どうせ、女なんぞに衛兵隊隊長などやらせるから、その重責に耐えきれずとうとうプレッシャーで頭がオカシクなったのだろうと吹聴するに違いない。
そんなことになったら!悔しくて眠れぬ!!なんとしても今日を切り抜けねば。
「とにかく!落ち着くのだ、アンドレ!」
アンドレの身体のわたしはわたしの身体のアンドレを落ち着けようと胸を撫で擦った。
「やめろ!俺の手でおまえの胸を触るな!」
「あ、ああ、すまん、つい、わたしの胸だから・・・。」
「ああ~、もうややこしいな!」
わたしの身体のアンドレが悲鳴を上げる。
なんという金切り声を出すんだ、あ、わたしの声か。
「た、隊長・・・」
はっ!気づくとそこにアランが立っていた。
「あ、アンドレ、っって、てめぇ、今、た、隊長の胸を揉んで・・・。こ、こんなときに司令官室で・・!」
「ちがう、ちがう、ちがうーー!!」
アンドレの身体のわたしとわたしの身体のアンドレは両手をばたばたして同時に大声で否定した。
「みな揃ったのか?で、ではわたしも行くぞ!」
わたしの身体のアンドレがわたわたと表へ駆け出す。アンドレの身体のわたしも慌てて後についていく。
まずい!
アランに俺の身体のオスカルがオスカルの身体の俺の胸を擦っているところを見られてしまった。
練兵場へ着いてもアランはまだ嫌な目つきでオスカルの身体の俺をじろじろ眺めている。な、なんだ?その舐め上げるような視線は?おまえは部下の分際で。俺のオスカルの身体をそんな目で見るんじゃない!
だが、練兵場の壇上に立ち居並ぶ兵士たちを前にして驚いた。
オスカルの身体の俺をうっとりと凝視している奴がなんと多いことか。
これは兵士の眼じゃないだろ!どいつもこいつも発情したケダモノに見えてくる。
俺のオスカルはいつもこんなオスどものいやらしい視線に穴が開くほど見つめられているのか?
気づかなかった!
うかつだった!
「ふふ・・・ん、ジャルジェくん、ちっとはマシに兵士たちをさばけるようになったかね?」
ブイエ将軍がイヤミな笑みを湛えて近づいて来た。
「は。ごらんの通りでございます。」
オスカルの身体の俺が頭を下げて言う。
顔を上げるとブイエのじいさまの視線がオスカルの身体の俺の胸を凝視しているのに気づく。
「キミのやり方は手ぬるいから、もっとこう、びしっと兵士どもを締めないといかん!剣の振り方ももっとこうびしっと!」
ブイエのじいさんが後ろにまわりこみオスカルの身体の俺の手首を掴んだ。
う、気持ち悪い!オスカルの身体の俺はブイエのじいさんの体臭を嗅いでおもわずなにか込み上げてきた。
「もっと、こう!大きく剣を振る!」
耳元で説教垂れながら下半身をオスカルの身体の俺の尻に寄せて来る。
オスカルの身体の俺の右手首を掴んで剣を振りながらわざとじゃないのか?
胸に腕を擦り付けてくる。
オスカルの身体の俺はたまらずブイエのじいさんの手を振りほどき離れると正面を向いて言った。
「ご教授、ありがとうございます。」
ねっとりとした視線はいぜんオスカルの身体の俺の胸から外さない。
俺はさりげなく腕で胸を隠した。
すると、このじいさま、回り込んで前から後ろからオスカルの身体の俺の下半身をじろじろ見ようとするじゃないか!
なんだ?!オスカルの奴!いつもこのじいさまのエロい視線に気づかなかったのか?オスカルはほんとにこういうことに疎いから。よくよく注意するように言っておかねばならない。
二度とこのじいさまと司令官室で二人だけにさせるものか!
どうにかこうにかわたしの身体のアンドレの指揮で閲兵式が済み、とりあえず兵士たちが兵舎へ戻る。アンドレの身体のわたしも銃剣を収めるために兵舎の中の武器庫へ向かう。
アランがすかさず駆け寄ってきた。
「おい!アンドレ!」
「む・・。なんだ!なにか用か?」
アンドレの身体のわたしはさっきの司令官室のこともありついつっけんどんな返事になってしまう。
「おまえ、さっき、隊長の胸揉んでたよな?」
「ば、ばかものっ!揉んでなどおらぬわっ!」
「・・・?」
はっ!アンドレはこんなものの言い方はしないな。いかんいかん。
「ばかっ!揉んでなんかいるもんか!む、胸元を整えてやっただけだ、ぞ、と。」
「へえ。そうは見えなかったがな」
「お、おまえがそういう卑猥な気持ちで見ているから!きっと、そのように見えるのだ!」
アンドレの身体のわたしは叫んだ。
「前々から疑問に思っていたんだが、アンドレ、おまえって、隊長の着替えを手伝ったりするのか?」
「え?」
「屋敷に戻ればそりゃ大貴族のお姫様だから、大勢の侍女たちが寄ってたかって隊長の身づくろいをするだろうが。衛兵隊の中じゃそうもいかんだろ。おまえがやってるのか?」
アンドレの身体のわたしははたと立ち止まって考えた。いや、アンドレはわたしが隊の中で着替えをするときはさりげなく席を外す。
「わたしは・・・、いや、オスカルは自分で着替えるさ。お、俺は手伝わない」
「そりゃ、そーだよなー。あれでも、た、隊長、一応、女だしなー。ま、まさかアンドレが脱がせるわけないよー。」
そばで聞いていたジャンやフランソワが口々に言ってきた。一応、女とはなんだ?一応とは!
「そうだよ、アラン!いくらアンドレが隊長のお側去らずの従僕だって男なんだから。できることとできないことがあるだろ!」
「万が一、た、隊長の、き、着替えを見ちゃって、は、反応しちゃったら、た、大変だろ!」
アランがああん?と言う顔をして叫んだ。
「隊長の裸見て反応する男がいるかぁ?ありゃ、どう見ても板と棒だぞ?」
アランが両手を前へならえの恰好で上から下へ真っ直ぐ下ろした。
な、なんだと、この、アランめ!わた、わたしの身体を見たこともないくせに!
「おまえは!さっき、わたしの胸、あ、いや、オスカルの胸を揉んだとかほざいていただろうが!どうやって板を揉むのだ?板が揉めるものか、このっばかものがっ!」
「あ、やっぱり、おまえ、揉んでたのかよ?」
「えー!アンドレ、隊長の胸を揉んだの?いいな~!ずるいずるい!!」
「揉めるか!ばかものっ!」
「あ、やっぱ、板?」
「ふざけるな!ちゃんとあるわっ!」
「あ、アンドレ、見たことあるの?いーな~!」
「ばかもーん!」
こいつら、いつもわたしのことをこんなことばっかり言ってるのか?!
けしからん!
アンドレもアンドレだ!
普段から上官の噂話なんか気安く相手になっているからこんなふざけたことを言うようになるのだ。
わたしたちはお互い非常に不機嫌な気持ちで家へ戻った。身体はいまだに入違ったままだがどうしようもない。
「おいっ、アンドレ!今晩はちゃんと湯あみして寝ろよ!汗じみたまま寝るのは気持ち悪いからな!」
アンドレの身体のわたしはわたしの身体のアンドレに叫ぶ。
「おい、それは無理だろう?俺におまえの裸の身体を洗えというのか?俺におまえの裸に触れというのか?俺にできるわけないだろう!!」
「今はわたしの身体がおまえのものなんだから仕方あるまい。汗で汚れたまま寝台に横になるなんて耐えられん!それに、湯あみで身体を洗うのは侍女のマルグリットだ。おまえはわたしの裸が見たくなきゃ目を瞑ってればよかろう!」
「ずーっと瞑りっぱなしでいられるもんか!」
「ふ・・ん!どうせ板みたいなもんだからちらっと見たってどうなるもんでもあるまい?」
「おまえね、おまえのそういう男に対しての危機感の無さがまわりの男を増長させるんだぞ?」
「なんだと?!危機感がないとはどういう意味だ?武官に対して聞き捨てならん!」
「実際ないだろう!危機感がないから舐めまわすように見られていても気づいてないし、ブイエのじーさまなんかにべたべたべたべた触られて!」
「な、なんだと?ブイエのじーさんにべたべたべたべたって・・・。それはおまえのわたしの身体の管理不行き届きではないのか?!」
「いや、あの触り方は普段からやってる感がありありだった。おまえ、司令官室でブイエ将軍と二人だけの時ちゃんと身を守っていられてるのか?」
「アンドレ!なんという侮辱!おまえでも言っていいことと悪いことがあるぞ!」
「いいや!俺だってちゃんと確認しておきたい!おまえの護衛としてな!」
「高い声で騒ぐな!人に聞こえる!」
「おまえの声だ!」
わたしの顔をしたアンドレとアンドレの顔をしたわたしはお互い睨み合った。
「とにかく!ブイエのじいさんにべたべたべたべた触られたのなら余計気持ち悪い!絶対湯あみしてよおーく洗えよ!そのまま寝たら許さんからな!」
アンドレの身体のわたしはそれだけ言い放つとばーんと音を立ててわたしの部屋を出た。
怒りと情けなさでいっぱいだ。心もとない気持ちで侍女のマルグリットにわたしの身体のアンドレのための湯あみの用意をするよう言いつけに行った。
アンドレとわたしはどうなってしまうのだろう。もとに戻れるのだろうか。
つづく