ノンちゃん雲に乗る・・・お読みになったことがありますか?

 

 

カテゴリとしては児童文学になっているらしい。

 

でも、児童文学かな? 少女が雲に乗るメルヘンでもある。

だけど大人のための教育書にも思えるんです。子どもたちの心をどう導いていくべきか。どう育んでいくべきか。

 

 

 

初版は1951年。太平洋戦争終結のわずか5年あとです。大人たちもですが、それよりももっとヤワヤワでフワフワで薄い皮1枚で包まれている子どもたちの心はどんなにか深いキズを負っていたか計り知れない頃です。

 

 

きっと、石井桃子先生は戦争でズタボロに傷ついた子どもたちの心を救済するなにかの一手になれればと書かれたのではないかなぁ。

 

戦争を子供たちの心の致命傷にさせてたまるものか、そうさせてはならじ!という先生の決意の声が聞こえる気がします。

先生の愛と優しさと思いやりが文章の間にエーテルのように醸し出されています。

 

 

 

 

まだ戦争の影の無かった昭和のはじめ。小学校2年のノブ子、ノンちゃんは級長に選ばれた優等生です。朝の集会への行進の際には「だりっ(左)、右!だりっ!右!」と勇ましく号令をかけてクラスのみんなを誘導するのだってできます。

 

そんなしっかり者のノンちゃんが今朝はワァワァ大声を上げて泣きながら神社のお池のほうへ歩いていきます。

犬のエスも気づかわしげにノンちゃんを見上げますが、そんなことはかまっちゃいられません。

 

なにしろ、この世で一番大好きで信頼しているお母さんにだまされたのですから。

 

今度東京へ行くときはかならずノンちゃんも連れていってくれると約束していたのに、朝早くノンちゃんがまだ起きないうちに兄ちゃんだけを連れて出かけて行ってしまったのですから。ノンちゃんの世界はぐちゃぐちゃに破壊されたのですから。

 

やけっぱちのようにノンちゃんは池のほとりの松の木に上ります。松は池をのぞくように水面に張り出しています。松の幹から眺める池の水面は空を映しており、その空は深く深く遠くに見えて不思議です。ノンちゃんはもっとよく見ようと身を乗り出します。パシャン!と音がしてどこかでエスがキャンキャン鳴いている声がします。

 

いつの間にかノンちゃんは白いモコモコの雲の上に乗っていました。そこにはお雛様の「高砂の爺婆」のお人形によく似た雲のお爺さんとガキ大将の長吉がいました。

そしてノンちゃんの家族のお話が聞きたいとお爺さんは言うのです。

とまどい、つっかえながらノンちゃんは語り始めます。

語っていくうちにノンちゃんは気づきます。いかに自分が家族に愛されているか、どんなに家族を愛しているか。深い愛と絆で結ばれているか。

 

 

終章、ノンちゃんは女学生になっています。

兄ちゃんの賢くて優しい親友はやがてお父さんの後を継いでお医者さんになるはずだったのだと思います。だけど戦地から帰ってきませんでした。

ノンちゃんに石をぶつけたり、雲の上でノンちゃんをからかった長吉もとうとう戻ってこれませんでした。

 

やがて戦に負けて戦争が終わり戦闘機が飛ばなくなった青い空を見上げながらお医者さんにノンちゃんは言います。

 

「わたし、お医者さんになろうと思います。女医さん。変ですか?」

 

「そうかい。うん、なっておくれ。これからは君たち若い人がこの国を作っていくんだ。」

ノンちゃんは頷き、また空を見上げます。

 

「おおい、雲よ、おまえはどこへいくのですぅ。」

 

白いもこもこの雲がひとつノンちゃんたちを見渡すように空を流れていくのでした。