「アンドレ、アンドレ。しっかりして。まだ死んではだめよ。
わたしたちを置いていくのなんて、絶対許さないわよ!」
「オスカリーヌさま・・・。どうか、お許しを・・・。わたしの祖母がもうそこまで迎え
にきたようですよ。」
言葉は途切れ途切れだったがアンドレは最期までほほ笑んでくれた。
アンドレは死んだ。
少し前からお腹に痛みがあったらしいが、彼らしく誰にも言わず一人で耐えて黙々と日々の仕事をこなしていた。
ある日倒れてお医者様に診て頂いたときにはお腹の中の病はどうにもならないくらいひろがっていて彼の命はもう幾ばくも無いことがわかった。
父はそれまでのアンドレの忠義に報い我が家で看取ることを許した。
「アンドレが死んじゃったらわたしはどうすればいいの?
腹が立ったとき誰に慰めてもらえばいいの?
悲しいときには誰が馬に乗せてくれるの?」
「オスカリーヌさまはこれからご身分に相応しい立派な男性を愛し愛されて、ずっと
幸せに暮らすんです。
わたしのことなどすぐに忘れて、どうか・・・。」
「だめよ、わたし、アンドレじゃなきゃだめなのよ。
ねぇ、しっかりして!アンドレ!!」
その時、使用人部屋の扉が開いた。
カツカツと靴音がした。
母が寝台の脇に立ちアンドレを見下ろした。
「・・オスカル・・・。」
苦し気な息の下でアンドレは母の名を呼んだ。
母は無言のままだった。
「すべては俺が・・・。罪の報いを・・。」
アンドレが呟いた。
徐々に家の者たちがアンドレのまわりへ集まってきた。
彼に最期の別れをするためだ。
人々はアーメンを唱え祈りの言葉を口にした。
どうかアンドレが安らかに天へ召されますように。
侍女に抱かれて幼いジャックも部屋へやって来た。
たどたどしくアンドレに最期の別れを言う。
「アンドレ、アデュー。いままでありがと!マリアさまのおみちびきを。」
アンドレは限りなく優しい眼でわたしとジャックを見、そして最後に母を見て微かに頷くと目を閉じた。
「アンドレ!逝かないでくれ!」
突然、母が叫んだ。魂の慟哭だった。
たった一言だった。だが、これほどの哀しい叫びをみんなかつて聞いたことがなかっただろうし、たぶんこの先も無いだろう。
テーブルには読書のためのランプが一つだけ置いてあり部屋の中は暗かった。
わたしは薄明かりの中でひときわ白く浮かぶ母の顔を見つめた。
今夜の母の青い瞳は暗く潤んでいてアンドレの眼を彷彿させた。
国のため、家のため、自分の心を封印して結婚したけれど、母は幼なじみのアンドレへの恋心を断ち切ることができなかったのではなかろうか。
何年も何年も。きっとそれはアンドレも。互いに想いを募らせて、そして、とうとう、二人が境を超えたのがあの夏の日ただ一度ではなかったか。
それを誤魔化すために、いや、贖罪のために母は再び父と夜を共にし、人生を共にする決意をしたのではないか。
アンドレを供にして馬を駆るわたしの姿は叶えられなかった夢として母の眼に映っていたのではないだろうか。
すべては憶測にすぎない。それに、そんな追及をするには母とアンドレが愛おし過ぎてわたしには出来なかった。
よしんば母に問えたとしても母は絶対に語らないだろう。
アンドレが守り抜いたまま逝ったように、母もそうするつもりなのだ。
「・・・許す。ルシンダを連れていってもよい。」
ぽつりと言うと母は再び本を手に取った。
母の白い指は色褪せたヌーベルエロイーズの金の文字をそっとなぞっていた。
Fin