本に出会った時、その時までに蓄積された人生経験によって感じ方、感情移入など変わりますよね。
想像する力のある方は経験せずともわかる場合もあるでしょう。わたしは身につまされないとわからないみたいです。
読み返すごとに心持ちが変化したのはこの本
村岡花子先生訳 「アンの娘リラ」
初見は10代の頃。アンシリーズはいちおうコンプリートしておかなくては、と読みました。感想は、さしたる思いもなかったです。アンの末娘でわがままな甘えん坊さんが成長する話なんですね、って。
その後、20代、30代のごちゃごちゃしてる時にもたまに読み返し。あまりド悲劇でない中古典(古典までではないですよね?)シリーズは息抜きにちょうど良いので好きな場面だけ抜粋して読み返してました。
そして今、読み返すと泣けるんです。
え?!赤毛のアンで泣くか?って自分でも思うんですが。
泣けてしまうんです。
アンの末娘、甘えん坊で軽薄なリラが成り行きで孤児を育てることになってしまいます。トカゲの飼育実験をするが如くイヤイヤながらも医学書に基づいて正確に子育てを遂行しようとするリラ。本来はやはり、アンの娘、生真面目なんでしょうね。
序章部分ではそれを見守る周りの人々も風景も美しく平和に、ユーモラスに描かれています。やがてひたひたと足元に打ち寄せる程度だった第一次大戦の波が大津波となって世界を、プリンスエドワード島を飲み込んでいきます。
さまざまな悲哀、愛情、永遠の別れ、苦悩がリラに訪れますが、乳飲み子の子育てはその都度ベッドに身を投げ出して泣いていたらとても出来ないことを、人生はそれではすまないことを15歳のリラは悟ります。
最終章は帰還を待ち望んだ人から「リラ・マ・リラ(リラ、わたしのリラの意)、この美しい娘さんはほんとに僕のリラかい?」と問われるのに焦ったときの癖が出「そうでしゅ」(そうです)と舌足らずに答えてしまうリラ。
望むとも望まざるとも一生懸命成長していく熱心なリラがいつの間にかとても可愛くいじらしく思えて最後のここで知らないうちに泣き笑いしている自分にびっくりして
しまうんです。
モンゴメリ先生、やっぱり、さすが!!