「アンドレ!アンドレ!!ルシンダを出して!今すぐ乗りたいのよ。」

 

サテンのリボンでくくった髪が風にかき乱されるのもかまわずわたしは厩舎へと駆けこんだ。

さきほど母から聞いた結婚話がどうにも我慢ができなかったからだ。

 

 

「オスカリーヌさま・・・。」

 

馬にブラシをかけていたアンドレは手を止めてわたしを見た。けれども、またすぐ馬に目を戻しキッパリと言った。

「できませんね。」

 

 

 

頬にカッと血がのぼるのがわかった。

わたしの激しい気性は若い頃の母によく似ているとアンドレは言う。

そうなのだろうか?

今の母はまるで凪いだ湖面のように静かだが。

 

わたしを無視したままアンドレは若い雌馬の手入れをし終わると次の馬に取り掛かかった。

わたしは苛立って大声を上げた。

「どうしてよ?!」

 

 

肘までゆるく捲ったシャツの肩越しにアンドレはわたしを見た。

わたしの胸がトクンと鳴った。

どうして、アンドレの隻眼はいつも穏やかに落ち着いて見えるのだろう。

瞳の色が漆黒の夜の色をしているからじゃない。

 

アンドレに見つめられるとわたしはいつも不思議と心が安らいでいくのだった。

 

 

 

 

 

 

無邪気な子供時代が終わった頃、自分の国がひどく矛盾に満ちているものだという事に気づいてしまった。

それは、わたしが以前よりも少しだけものを考えるようになったからか、あるいは、ベルナール・シャトレという平民出身の家庭教師の影響だったのかもしれない。

父は先進的な考え方をするその家庭教師にひどく怒り彼をクビにした。

けれど、見てしまったものはなかった事にはできない。

一度味わった知恵の実を食べなかった事にするなんてできないのだ。

 

 

じわじわと世の中の不穏な空気がこんな屋敷の奥深くにも入り込んできているのがわかった。

召使たちのひそひそ話だったり、近衛に勤める父の険しい表情だったり、晩餐の時の父母の暗示めいた会話だったり。

軍関係の来客がやって来て応接室で父と激しく議論していることがめっきり増えた。

 

 

これからわたしたちは、フランスはどうなるのだろう?

 

 

わたしは赤ん坊のように怯えながらも生来の勝気でそれを表に出すことができず虚勢を張って見せていた。

誰もがわたしのことを鼻っ柱の強いじゃじゃ馬と思っていたが、アンドレ・グランディエだけはわたしの本質を見抜いていた。

 

ひとりふさぎ込み屋敷の片隅で隠れて泣いていてもアンドレは必ずわたしを見つけてしまう。そして、黙って傍に寄り添ってくれる。そうすると不安も怖れもいら立ちもまるで吸い取り紙に吸い取られるように消えていく。

 

アンドレと一緒にいるとほっとして安らげた。アンドレといるとなにも怖くなくなった。

 

わたしはアンドレが好きだった。

この世の中で一番アンドレが好きだった。