昨年末から就活をしていたジィジ。「やっと」のことで再就職先が見つかった。桜前線はまだ、うちの地方に来ていないが、ジィジ方では一足早く桜が咲いた。

 新天地はジィジが前職、新聞記者になるきっかけとなった「まちづくり」に関連する施設。家族は「父さんに合っている仕事。自宅からも近い」と喜んでくれている。

 



 ジィジは今から約30年前、地元のまちづくり委員会の広報担当となり、取材したり、記事を書くように。活動する中で「こんなおもしろいこと。仕事になればいいのにな」と思ってた矢先、偶然、某新聞社(前の勤務先)に記者の求人広告が載っていたのを見つけ、応募したところ、採用してもらえた。

 

 ずぶの素人。35歳にしての転身。3人目の子が妻のお腹におり、家族は猛反対した。周りからも「無茶や」「すぐに辞めるだろう」と言われた。母や妻に説得され、ある寺院に連れていかれ「お伺い」をしてもらうと、住職は「長く続かない。後悔する」と諭された。

 「負けてなるもんか。いつか見返してやる」と歯を食いしばった。

 会社では会長(当時、社長)から取材のイロハを学び、書いた記事を毎日、見てもらう日々が続いた。目を覆うような記事を書いても、会長は俳句の達人、夏井いつきさんのように、すべて書き直さず、理由を述べた上、原文を残したまま修正していった。繰り返し、繰り返しの校正。時には日をまたぐ時もあり、1年ほどは毎日、そのような日々が続いた。

 



 うちの新聞はA3サイズの両面印刷(2ページ)。限られた紙面なので、会長からは「簡潔にまとめる」「ダラダラ書かず、しまりのある文を書く」「流れやリズムを考える」などとアドバイスを受けた。

 そして、1本でも多く記事を掲載する。本数を増やすということは積極的に取材をしろ、ということ。役所などから資料提供された内容ばかりを載せるのではなく「足でかせげ」。ローカル紙ゆえ、大手新聞にも載っていない、網の目からこぼれたようなニュースを載せること。また、地元の人の名前、顔写真(表情)を掲載するようにもいわれた。

 

 会長からはよく「言論達意」という言葉を忘れるな、といわれた。

 これは「相手に理解されるような文章で表現する」。

 どこの記者も皆、記事を書いた後、最後に声を出して自分の書いた文を確かめる。ジィジは時間があれば、少し間をおいて何度も記事を読み直していた。

 このような確認はどんな仕事でもいえること。職場、変われど。この作業は役に立つだろう。