1995年1月17日の阪神淡路大震災から29年。

 この記憶を次代につなげようと、阪神高速道路の被災建物を管理する「震災資料保管庫」(神戸市)を見学。地震の脅威を目の当たりにした。

 同社では1999年10月、「地震で失ったもの」や「伝えるべきもの」「活かさなくてはならないもの」として倒壊建造物34点を保存している。保管庫では毎月4日間ほど、開館日を設け、一般公開しているが、この日(1月14日)は震災29年目を前に、特別開館。1日4回のDVD上映、社員による講演会、被災建物の解説があった。定員は各回30人ほどだったが、どの回も盛況。私は午後1時(3回目)の説明会にに参加できた。

 



 講演会では震災復旧に当たった男性社員が地震発生直後の惨事や陸上交通がマヒし、船を使って現場に向かったこと。高速道路の橋げたなどが、ドミノのようにバタバタ倒れており、愕然としたことなどを語った。

 保管庫の入り口には寸断された道路から落ちそうなスキーバスの大きな写真パネルが掲示されていた。解説した社員は「皆さんは上のバスに目が行くと思うが、我々は高架下に落ちていた接合パーツを見て『こんなものまでが脱落するなんて』とその部品を手にしたことを覚えている」などと語った。



 また、保管庫には地震の影響で、大きな鋼材が飴のようにぐにゃりとへし曲がった橋げたや象の足のように、押しつぶされた橋脚、大きくひび割れたコンクリートの巨大壁などが展示され、社員は「想定以上の揺れや過重がかかり、このように変形した」などと解説。見学者はその姿を目の当たりに、実際にふれ、地震の脅威に驚いていた。



 

 神戸に親戚がおり、東北には複数の友人、能登半島にも学生時代の同級生がいる。宮城県南三陸町では東日本大震災の2カ月後、実際に被災地を取材し、その壮絶さを体感していたが、神戸の被害状況はテレビを通してでしか、観たことがなく、自分の目で確かめたかった。

 今回の見学には神戸の親戚も同行してもらい、自らの貴重な体験談を聞くことができた(続く)。