昨日、中学時代の恩師(74)のところへ、退職挨拶に伺った。

 中学時代、ジィジの担任は毎年、異なり、この先生は3年生の時の担任でもあり、野球部の監督でもあった。

 体育担当で当時、若かった先生は運動神経バツグンで、足も速く、生徒らに負けたことがなかったほど。野球にも精通していた。

 教えてもらったのは投げる、打つ、走るやルールなど基本的なことだけ。あとは自由。バッティングフォームなども「ああだ」「こうだ」と手とり足取り教えたりせず、各自に任せてくれた。試合の直前くらいしか、練習を見に来なかったため、守備練習のノックも上級生がしていた。

 皆、バッティングが好きだったので、練習の大半は打撃に費やした。狭いグラウンドだったので選手同士で「校舎に当たるまで」「体育館にぶつけるまで」と競い合い、レギュラーがバッティングゲージをいつも独占していた。

 こんな練習の繰り返しだったから、「打撃のチーム」と化し、練習試合ではそこそこ勝てるようになった。チームの目標は地区予選を勝ち抜き、本選(県大会)に出場すること。ここの学校は過去、優勝経験がなく、高校野球等で使用される観客席付きの球場で試合をしたことが無かった。

 

 最後の夏、予選前の抽選会があり、1回戦、宿敵のライバル校と当たってしまった。これまで練習試合の成績からみても圧倒的に不利。「ああ、今年も…」という声も聞こえた。ところが、奇跡が起こった。試合になると自慢の打線が爆発。速球派と軟投派の投手2枚看板も好投を続けて、順調に勝ち上がり、ブロック優勝を達成。かつてない快挙に全校生による激励会が開かれたほどだった。

 

 代表が決まり、県大会に向け、練習をしなくてはならなかったが、タガが緩んだか「暑いから、きょうはやめ。泳ぎに行こう」と3年生全員が自転車に乗り、琵琶湖に泳ぎに行ってしまった。

 その翌日、先生が来て練習を始めようとしたが、古いボールが数個しかなかった。打撃練習でとなりの田んぼにはまったファウルボールを回収していなかったのだ。先生は「道具を粗末に扱うヤツには野球をする資格がない」と全員、田んぼにはまらせ、ボール探しをさせた。

 そして、拾い集めたボールを一列に並べ、3年生全員に「ボールに謝れ」と土下座をさせ「ボールさん、ごめんなさい」と皆が地面に頭をこすりつけた。

 後で聞いた話だが、先生は日焼けした選手たちの顔を見て、練習をさぼったことを悟っていた。「代表で出ているのに、こんなことでは」と思い、気合を入れたという。

 

 結局、県大会1回戦は初回、サードを守っていた4番バッターがファウルボールを追いかけ、フェンスに激突。救急車で搬送されていまい、チームは意気消沈。1対4で負けてしまった。県大会に母校が出場したのは後にも先にもこの時だけ。それゆえに先生もその当時のことを克明に覚えておられた。

 

 訪問先でジィジは「仕事を辞めることになったが、体調はすこぶるよくなっている。また、再出発できれば」と話した上「あの頃は好きにさせてもらえてよかった。だから野球が好きになれた」と昔を懐かしんだ。

 先生は「バットはこう、スタンスはこう、と誰もかも、同じフォーム(スタイル)にすることは…。それよりその選手の優れたところを見つけ、個性を伸ばすことが大切」と語った。高校でも、このような指導者だったら、野球を途中でやめなかっただろう。