ひとつの区切りをつけ、多くの方からねぎらいの言葉をいただいている。

 ほとんどが記者生活27年の間に知り合った方々。退職の前日には「不死鳥」と呼ばれる地元、野球界の重鎮の恩師が我が家を訪問。2人の出会いから、一緒に中学硬式野球クラブの発足させた時の思い出や恩師が高校、大学の指揮をとり、躍進を遂げた際の記事など、懐かしく語り合った。

 ちょうど、話をしていた時、偶然、地元高校の元監督(現校長)から電話が入り、野球談議が一段と盛り上がり、延々と話に花が咲いた。恩師、校長とも「(記者として)ひとつの区切りはついたが、〇〇ちゃんはこれからも、まだまだ十分やれる」とエールを送ってくださった。

 



 会社の同僚たちからはきれいな花束とギフトのプレゼント。女性職員さんが「THANK YOU」「27年間、おつかれさまでした」の文字とビリーの似顔絵を描いたメッセージプレート添えてくれた。

 妻が玄関に花束とメッセージプレートをきれいに飾ってくれ、どこかの「開店祝い」かのように、華やいだ雰囲気になった。

 

 その後、社員から続々とLINEが届き、「〇〇さんがいると、職場が明るかった。寂しくなります」「体に注意してください」など惜別の言葉を、また、営業マンたちからは13年前の県知事選で、新幹線新駅の建設を強引に推し進めようとした現職(当時)を酷評した記事の思い出、「〇〇さんの記事は市民に寄り添った温かみのある記事だった。私たちも市民目線で業務をが頑張りたい」などと、嬉しい言葉をかけてくれた。

 社長にお別れのあいさつをすると「取材先で『〇〇さん、退職されたのですか?』とよく聞かれた」「特に引退後、どうされるのですか?という問いかけが多かった」などと言われ「いや、これからどうしようか考えているところです。いいところがあれば紹介してください、と言っておいてください」と笑顔で答えた。

 

 このほか、仲のよい友人たちや取材で知り合った人、思わぬ方からも続々と連絡があり、その反響に驚いている。

 まったく畑違いの仕事に就いたことにより、地域を変え、人の心を動かせたのだろう。27年間、ムダに過ごしてこなかったことを実感している。