昨日、約40年ぶりに学生時代を過ごした岐阜県M市を訪問。その変貌ぶりに驚き、浦島太郎のような気分に浸った。
ジィジは高校卒業後、自動車整備士を目指すため、専門の短大に入学。近くの古民家(離れ)に下宿しながら、大学に通った。下宿は共同風呂、トイレ、洗濯機付きで月3000円という激安。オンボロで同級生からは妖怪が住むような「鬼太郎屋敷」と呼ばれた。
学費や下宿代は親が負担してくれたが、生活費は自分で稼ぐことが1人暮らしの条件だった。そのため、入学直後からアルバイトを始めた。1年時は先輩の紹介で、自動車部品下請け工場で働いた。車で1時間近く登った山の中にあり、近所のおじさんやおばちゃんが勤務。流れ作業でショックアブソーバーを作っていた。
学生たちは放課後、相乗りして出勤。当時、30人近くがアルバイトしていた。半年を過ぎたころ、ジィジと友人が工場長に呼ばれた。「君たち優秀だから、工場で働かないか?住む場所は用意する。なんなら嫁さんも紹介する」と誘われた。突然のことで、驚いたが、「2人とも長男なんで」と丁重に断り、そのままアルバイトとして勤務。その後は「幹部生」として給料も特別扱いしてもらえた。契約期間を終え、別れることになったが、現場にいた人たちから「来たくなったら、いつでも待っているから」と言われ、車の後ろ姿が消えるまで、手を振っていてくれたことを覚えている。
しかし、今はその工場は無くなり、当時、ラリーのように疾走していた峠道もきれいに整備され、高速道路までできていた。
2年になると、同じ下宿仲間と喫茶店で働くように。年中無休で平日は夜(午後5時~深夜1時ごろ)の部を、祝祭日など宴会があるときは昼の応援もしていた。メニューはコーヒー、紅茶のほか、焼きそばやオムライス、サンドイッチにかつ丼など。岐阜は喫茶店のモーニングが有名で、この店でも通常価格(当時250円)のまま、飲み物にトースト、ゆで卵、ミニサラダを加え、提供していた。
ここは給料こそ、安かったが、賄い(自分で作る)で食事の心配はなかった。また、ジャンプやマガジンなど週刊誌が読み放題。友人や高校生アルバイト(女子)たちがひっきりなしに集まってくるので、毎日が楽しかった。ここも卒業する間際まで勤務したが「地元に帰るんや~さみしいな」などと店の従業員さんやアルバイト仲間から言われ、後ろ髪を引かれる思いだった。
昨日、たぶん、喫茶店があったと思われる場所も訪れたが、農協の駐車場になっていた。「たぶん」というのはよく買い出しにいったスーパー(今は閉店)やコーヒーの出前していた貸衣装屋のビル(現在は不動産屋)のビルが残っていたから。それ以外、当時の面影はなく、周囲には中華料理店やステーキハウスなどが立ち並び、大きなバイパス道ができていた。「ここまで変わるとは」。とその場で立ち尽くし、思わず、つぶやいてしまった。
その後、学生時代、使っていた通勤路を戻り、下宿があった場所を訪ねたが、鬼太郎屋敷は倉庫になっていた。周囲に残っていたのは散髪屋や中華料理店、古びた学生アパートくらい。周囲にあった田んぼは学生用の駐車場やサッカーグラウンドと化していた。
卒業して40年を経過するが、こんなにも変わるものか。ジィジの友人たちは卒業後、神奈川、石川、茨城、鹿児島など各地に散らばっており、ここには帰ってきていないだろうし、町の変貌ぶりを話したら、きっと驚くだろう。
そういえば、変わったのは町の風景だけでない。整備士として歩むはずだった自分たちも職を変え、それぞれの人生を歩んでいる。過去は変えることはできないが、未来は変えることはできる。新たな一歩に向け、踏み出していこう。



