20日付けで在職している新聞社を辞めることになった。

 27年間、記者として取材活動などをしていたが、ここが「潮時」と思い、退職を決心した。

 

 30年ほど前、地域のまちづくり委員会の一員となり、定期的に広報誌を発刊したり、郷土史を作ったりするうち、取材や執筆の楽しさを知るようになり、「いつか記者になってみたい」と思うように。ちょうど、その頃、現在、勤めている新聞社の「記者募集」の広告を見て、応募。前社長との面談で同じタイガースファンということもあり、意気投合し、筆記試験もなく即、合格となった。

 

 3人目の子どもが生まれる直前。まったく記者としての経験も無かったため、周囲は猛反対。「無謀」「すぐにやめる」だろうとも囁かれたが、前社長に記者としてのイロハを学び、ほぼ連日、徹夜で記事の執筆を学んだ。1年を過ぎるころ、何とか「読める」記事となり、その後は紙面のほとんどを埋めるほどまで、成長できた。今の自分があるのは、前社長のおかげだと思っている。

 その後、大学を卒業したばかりの現社長が記者(編集長)として成長するまで、ジィジは「中継ぎ」的な存在で社をけん引してきた。

 思い出に残る取材としては園児の母による「幼稚園児殺人事件」、不倫相手をマンホールに遺棄したとされる殺人事件など。わが社が大々的に詳細(第一報)を報じ、注目を浴びた。このほか、地元1市8町による平成の大合併をリードしたり、新幹線栗東新駅の建設凍結、脱ダムを掲げた女性知事の初当選を後押し。住民目線、地元密着スタイルを貫き、地域に愛される新聞社として君臨した。

 

 記者は昼夜、休みも問わず、気を抜くことができず、常にアンテナをたてていなくてはならない。クレーム、問い合わせもほぼ毎日でストレスが多かった。

 精神的にも体力的にもしんどく、ジィジは「60を越えたら、やめよう」と考えていた。しかし、後継者も育たないままだった。そんな矢先の病気発覚。「これを機に筆をおろそう」と考え、辞める意向を前々から社長に伝えていた。


 これまで、たくさんの人にお世話になった。その感謝の意味も込め、本日、挨拶状を発送した。

 長いようで、短かった27年間。本当にありがとうございました。