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プロ野球、阪神タイガースが5日、38年ぶり2度目の日本一に輝いた。
ジィジは熱烈な阪神ファンだった父の影響で、小学2年から応援するようになり、以降、半世紀以上、タイガースファン。
小学生のころ、地元では「V9」「王、長嶋」など全盛期だった巨人戦のテレビしか放映されなかった時代。父は「(強い)一番より、2番手から(相手を倒し)頂点を目指せ」といつも口にしていた。
その当時、周りの男の子は皆、ジャイアンツの帽子を被っていたが、ジィジは父が購入した黄色と黒の帽子をかぶり、登校。皆から白い目で見られていた。
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野球を始めたのもこのころ。ジィジは左利き。父は若い頃、草野球でキャッチャーをしていたので、ジィジをピッチャーに育てようと考えた。おもちゃのようなグローブをジィジに買い与え、それから毎日、キャッチボールをするようになった。
父は三交代勤務をしていたが、夜勤でも眠たい目をこすりながらも、グローブを手に持ち、ジィジが学校から帰宅するのを待っていた。
最初はうまく捕球や投球ができず、途中でやめることもしばし。しかし、父の指導もあり、球速がグングン伸び始め、5年の頃にはジィジの投げたボールが捕球できなくなった。
「もうあかん、ワシには(この球は)捕れん」。この時、ジィジは父を超えた、と喜んだ。しかし、本当の理由は「ボールが見えない」。父は長年、糖尿病を患い、その影響からか、両目の視力が落ちていたのだ。
その当時、小学校にスポーツ少年団などはなく、神社の的にボールを当ててコントロールをつけた。野球を本格的に始めたのは中学から。1年の秋から試合に出られるようになり、2年ではレギュラー。3年最後の大会では2試合連続ホームランを放ち、ブロック優勝。県大会に出場した。
複数の高校からオファーがあったが、父の病気が悪化し、会社も退職していた。母から「大学は無理」と言われ、進学校を諦め、工業高校に入学。野球部に入るも、2年の春、左足首を骨折し、野球を断念した。
中学時代から高校まで、試合になると父はグラウンドの影でジィジの姿を追っていた。父は気づいてなかったと思うが同級生たちからは「また、あのオッサン来てるで」とよく言われていた。ジィジは「どこのオッサンやろ。マメな人やなあ」と他人事のように話していた。
後に監督から教えてもらったことだが、父は少ないお小遣いからボールを買い、チームにプレゼントしていたこともあったようだ。
その父は52歳で突然死。阪神の日本一を見ることもなく、この世を去った。
今朝のスポーツ紙はどこも激闘関西シリーズを制した阪神・岡田監督の胴上げが一面を飾っている。ニッカンの見出しは「泣けた岡田」。タイガースの日本一を待ちわびていた、涙もろい父を表現しているかのように思えた。