ぶらぶらと弘法市を歩いていると、陶器などが並ぶ店に目が止まった。

 陳列されているのは、ジィジの家にもあるような絵柄の陶器ばかり。値札をみると数百円から数万円もしている。

 話を聞いた店主は京都市内に知り合いの料理店があり、数が揃っていると買い取ってくれる。また、単品の陶器なら、木箱に入っていれば、高値で売れるという。

 田舎に住む私にとって、昔、法事などで使っていた陶磁器や漆器は不用品。しかし、外国人にとっては「お宝」。店主と会話している間も、外国人の女性が山水の掛け軸を買い求めていた。

 



いつか使う、は使わない

また、連絡するわ

また、会おう   は信じない

 

 うちの離れには法事で使っていた膳や器、火鉢や座布団などが大量にある。しかし、冠婚葬祭はすべて式場ですることに決めている。年寄りは「いつか、使える」と処分することを嫌うが、「いつか使うは使わない」と思っている。

 関西人ならわかるだろうが、別れ際の言葉「また、連絡するわ」「また、会おう」は99%ないし、過信しない方がよい。

 



 90近い実母と老夫婦世帯の我が家は終活に入っており、ここ数年、断捨離を敢行。2年前にもいらなくなった陶磁器や家具を廃棄処分しているが、残り半分が離れの2階に置いたまま、ホコリを被っている。

 店主は出張買取をしており、地方にもよく出かけるといい、その品々を買い取らせてと切り出した。ジィジは「タダでもよいから、持って帰って」とお願いし、今週末、京都北部から地元まで来てくれることに。

 弘法さんがめぐり合わせてくれたご縁。きっといことがある、と信じたい(完)。