毎年、1月の2日か、3日は妻の実家に年頭あいさつに伺っていた。

 訪問すると、いつも義父はテレビの前に鎮座し、東京箱根大学駅伝を見ていた。

 あいさつを済ませ、テレビに没頭している義父を邪魔していはいけないと思い、義母や実家にいた妻の妹や弟と会話。その間も義父は疾走するランナーの姿を追いかけていた。

 お昼が近づくと、義父も交じり、会食しながら、皆で駅伝観戦。「〇〇大学の××選手が5人抜きをした」「これからは峠が続く。これで勝負が決まる」などと自慢げに解説していた。その名解説に皆が笑い、楽しい正月だった。

 

 義父は子どもの頃、足が速く学校代表で校外の競技会などに出ていたらしい。スポーツ万能で、体力もあったから、生涯、漁師を務めた。荒波の中も笹のような小舟で漁に出かけ、義母もそれについていった。大漁の際は大盤振る舞い。まさに「宵越しの金は持たない」主義、切符の良い性格で、酒も強かった。

 

 お盆の実家の墓参りで、立ち寄ってもテレビの前にいた。

 夏の高校野球を朝から晩まで観ていた。ジィジは義父の横に座り、試合を見ながら「ここはスクイズでしょう」「これでゲームの流れが変わった」などと2人の自称・評論家が野球談議を交わした。普段は無口な義父だったが、酒を呑んだときとスポーツ観戦の時だけは饒舌だった。

 

 弟夫婦や孫娘一家が同居するようになったうえ、4年前、義父が他界し、次第に実家から足が遠のいていった。大家族のため、義母も抗体力がないジィジがいることから、無理に帰省をすすめるようなこともしなくなった。

 

 義父は今のような新型コロナウイルスやウクライナ戦争を知らないまま、この世を去っている。その方が幸せだったかも。

 きっと、盆と正月は天国でテレビの前に座り、ひいきのチームを応援していることだろう。