今日的な実戦を追求するローコンバットと、昔日の戦いを伝える八極拳。肘打ちという基本技を通して見ると、両者の意外な共通点や武術の本質が見えてきます。
わかる人にしかわからないマニアックな考察ですが、ま、とりあえず行ってみましょう。
格闘技とは違い、路上での戦いを想定している為、最もケンカや護身に有効と思われるのが、ルーク・ホロウェイ先生が指導するローコンバット。
その体系の中に、素手での打撃技をまとめたセルフプロテクションがあります。
パンチはストレートやアッパー、フック、蹴りは前蹴りや外横蹴り、ローキックなどあり、通常の打撃格闘技と同じ体系のように思えますが、そのフォームが全然違うのです。
格闘技は必ず障害物のない試合場で行われますが、実戦はむしろ足場の悪い場所で行われるのが普通。むしろ、暗かったり、足場が悪かったりする環境だから、相手は襲ってくるわけです。
また、酒場のケンカなどでは、最初は足場が良くても、瓶が割れたり、相手の流血などで、戦いの最中に足場はツルツルになったりする。そんな環境での戦いを強いられていたホロウェイ先生は、ズバリ、「足場の悪い場所で戦える体系でないとケンカや護身に使えない」と言います。
そんなリアリティを追求するセルフプロテクションで防御や攻撃、崩しなど様々な局面で使える便利な技が肘打ち。
一見ムエタイのフォームと似ていますが、その用途が全く違う。ムエタイでは、相手の額を斬ることが主体となる肘ですが、セルフプロテクションでは、相手のパンチの防御や打撃、崩し、体当たりなどに使われ、接近戦では最も頼りになる技。そんな用途の肘打ちなので、空手などでは見られぬ落とし肘が多用されます。
空手で落とし肘と言ったら、多くの人は試し割りで瓦を上から肘で落とすような動きを思い浮かべるかもしれませんが、これとは違う。
手を頭の上に上げ、手で頭をカバーしたまま肘を前に突き出していく。ムエタイでは時々みかけますが、空手ではほぼ見られぬ動きと言っていいでしょう。
ホロウェイ先生の落とし肘。左足前の構えから、左カカトを上げつつ、
左手で頭を抱えつつ、左肘を前方へ突きだす。
両手で頭を抱えると固いガードになる。
接近戦では、このガードがそのまま打撃になり、崩しになり、体当たりになる。
それだけに、日本人の打撃格闘技経験者が最も理解しにくい肘打ちがこの落とし肘。
肘打ちありのムエタイルール経験者か、しょっ中素手でケンカをやっているような人なら別でしょうが、一般のアマチュア格闘家がその実戦性を実感する機会はほとんどない技でしょう。
しかし、セルフプロテクションでは非常に重要な働きをする落とし肘。
滅多に見れない動きですが、そんな珍しい技を基本にする武術がセルフプロテクション以外にもあります。
もうお分りですね。そう、武壇八極拳です。
武壇八極拳ではこの落とし肘と似た技を献肘と言い、小八極の最初の方に出てきます。初期の頃から繰り返し練習する、言わば基本技です。
李書文が得意とした猛虎硬把山は、冲捶から献肘への変化だったのですから、武壇八極拳における最重要技とも言えます。
小八極の最初の技。献肘。最初は大きく学ぶ。独立式から、
大きく踏み出し、両手を上げ、
着地で馬歩になりつつ、右肘を打ち下ろす。
八極拳の考えは、最初に徹底して威力を身につける為に、初心段階では、ゆっくり、大きく練習します。
それを徐々に小さくしていけば実戦ではすぐに使える、という考えなので、用法などは最初は考えず、ひたすらコンフーを練るだけです。
ただしコンフーを練る動作自体はそのまま実戦に使えるわけではない。さらに落とし肘のような、打撃技自体、日本人はほとんど知らなかった為、八極拳の献肘の実戦性は、なかなか理解されにくいようです。
献肘も動作は肘を落としているが、実はストレート。ミットの正面を前に向けて構えてもらえば、
身を落としつつ肘の前面がミットに当たり、
最後に肘を突き出しつつ、目標を水平に押す。肘の先端を当てる打撃の肘とは少し違い、体当たりの結果、肘を突き出している。
松田先生は良く「蘇昱彰先生の献肘を喰らったら胸に穴があくぞ。」とその威力を語っていました。私も若い頃、布のサンドバッグに献肘を思いきり叩き込んだら布が切れてしまったことがあります。少なくともサンドバッグに穴があくのは本当でした。
しかし、それでも実戦で使えるんだろうか?という疑問は捨て切れなかったものです。
格闘技的なスパーなどは全く使える機会がなかったからです。
最も今では、その設定自体が間違っていたからだと理解できますが、当時は八極拳をやっている本人でさえ、格闘技的なフィルターを外し切れていなかった為、その実戦性は見えにくかったようです。
今回、奇しくも私が八極拳オンラインセミナーで献肘の動きと勁、用法などを紹介した時、書籍制作ではルール・ホロウェイ先生のセルフプロテクションの肘打ちの原稿を書いていました。
自分がこれまで学んだ八極拳と、ホロウェイ先生の動きや用法などの共通点や類似性に嫌でも目が行きます。
どちらも戦いの設定が格闘技ではなく、路上での何でもあり。すると、求められる打撃の質が、実は打撃格闘技と変わってくるのです。
打撃格闘技は、基本的にキレが要求され、ハッキリと打撃技とわからなければ、審判はポイントに換算しません。これはプロアマ問わず同じです。打撃格闘技ならば打撃技をポイントにし、柔道ならば投げ技がポイントになる。あたり前ですね。
しかし、実際の戦いは、審判のポイント換算は気にする必要はなく、むしろ打撃のような投げや、崩しのような打撃の方が実戦にはしばしば有効なわけです。打撃格闘技のようなキレのある打撃技より、押すような打撃技の方が局面によっては有効だったりするわけです。
打撃技、投げ技、崩し技、などの格闘技ルールに基づいた技の分類が、実は実戦においては曖昧になってくる。いや、曖昧な技の方がむしろ実戦的、とも言えるのです。
しかし、格闘技的なフィルターを通すとこうした部分が見えない。技術の価値観が固定化してしまいがちです。
献肘の用法の一例。相手の左拳を内から右腕全体でハネ上げつつ踏み込み、
着地と共に右肘打ちを胸に打ち込み、体当たり的に飛ばす。
パンチが右拳やワンツーであっても同じ。両手を型通り正中線に差し出すだけで相手のパンチはブロックできてしまう。ここからは左右どちらの肘でも入れる。
私なども、林悦道先生の喧嘩術や、ルーク・ホロウェイ先生のローコンバット、川嶋祐先生の内発動や相対軸を取材し、本にまとめ、理解して、相当価値観を揺さぶられ、修正してきました。
私がオンラインクラスで紹介した献肘の用法も、受け技、打撃技、崩し技、体当たり技などの要素が一体になったものです。これを打撃技とくくったら、その技の本質が見えなくなる。
伝統武術を理解する、ということは、格闘技というフィルターを外し、武術や実戦という新しい概念を、技と共に受け入れること。
そう考えると、武術とはまさに哲学。自分の価値観との戦いですね。
今後はこうした武術の楽しみ方が求められるかもしれません。
伝統武術を、現代武術に甦らせるポイントはここでしょうね。
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http://budo-station.jp/page-2793/
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