先日最終回が放送されたテレビドラマ「アンナチュラル」。アメリカのケーブルテレビ系列では爆発的な人気の刑事ドラマ「NCIS」では比較的脇役の位置にある解剖医を前面に押し出し、あたうる限りスポットライトをあてていくこのドラマの主題歌を、自分は大変気に入りました。そういうわけで今回は米津玄師「lemon」についてちょっと書きます。
実はyoutubeに本人がlemonをアップロードしているので、それを聞きながらサビ部分の歌詞を文字に起こしてみました。
(1番)
あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ
そのすべてを愛してた あなたと共に!
胸に残り離れない苦い檸檬の匂い
雨が降りやむまでは帰れない
いまでもあなたはわたしの怒り
(2番)
どこかであなたがいま わたしとおなじような
涙にくれさびしさの中にいるなら
わたしのことなどどうか忘れてください
そんなこと心から願うほどに
いまでもあなたはわたしの怒り
(最後)
あの日の悲しみさえあの日の苦しみさえ
そのすべてを愛してた あなたと共に!
胸に残り離れない苦い檸檬の匂い
雨が降りやむまでは帰れない
切り分けた果実の片方のように
いまでもあなたはわたしの怒り
最後の「いまでもあなたは……」は、絶対「わたしの錨」だと思うんですよ。でも最初そう聞こえたんです。まさか「わたしの光」なんて安直な歌詞ではあるまいし、きっとこれは最愛の人が殺された誰かの心の叫びで、すっかり喜怒哀楽を感じる官能が萎えてしまったけれど、怒りを生ぜしめるような事柄は、あなたが殺されてしまったことぐらい。あなたはわたしの半身のようなもので、それを切り取られてしまった私は、切り分けられた果実の片方のようにじっとして、痛みと怒りに震えている……という意味合いではないかと。「わたしの怒り」。なんとも逆説的というか、ナンセンス的な匂いが漂ってはきませんか。そこにとくべつ詩的なものを感じます。
それに、full verを聞き出したのがもうドラマ終盤で、ちょうど主人公に何かと助言をする鷹のような風貌の切れ者解剖医にスポットが当たるストーリーだったのですが、どうやら恋仲にあった女性が悪辣な連続殺人鬼の餌食になったらしい、犯人を追い詰めようとする鷹の目をした彼の姿は、まさしく「わたしの怒り」、不条理な死に愛する者を奪われた人間の心を体現しているように見えたのです。
「lemon」は『アンナチュラル』とタイアップすることもあって事実人の死というテーマを重要視しているようで、サビ以外にもたとえば1番の「戻らない幸せがあることを最後にあなたが教えてくれた/きっともうこれ以上傷つくことなどありはしないとわかっている」(ソクラテスが『パイドン』で言ったように、魂の存在を仮定すれば人間の死後我々の世界に残るのは人の肉体のみで、それはたとえば「ソクラテス」ではなく「ソクラテスの肉体」でしかない……と考えれば、既に死んだ肉体を解剖したところで、肉体の主であった人間は最早傷つかないのです)、Cメロ「あれから思うように息ができない/あんなにそばにいたのにまるで嘘みたい/とても忘れられない それだけが確か」などなど、上の解剖医中堂のドラマ終盤の姿を思い出して涙が出ちゃう。
「わたしの怒りanger」は本当は「わたしの錨anchor」で、人間の不条理な死は、永遠に止まってしまった時間の一点にこれ以上なく人間を縛り付ける無制限の呪いである……云々、というのも、ドラマの中ではしつこいくらいに描かれたわけですが。
「いかり」という音の並びが全く違った意味の言葉を帰結させるのは面白いですね。エクリチュールの戯れ(というよりシニフィアンなのですが)がどうこうと書こうとしたのですが、とてもそんな雰囲気ではなくなってしまった……本当に詩としても素晴らしいと思うので、是非以下のurl(米津氏本人uploadの「lemon」)で聞いてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=SX_ViT4Ra7k
p.s. 歌詞カードを確認したところ、どうやら歌詞の上では「私の光」らしいですね。1番末尾では確かに「ヒ」の子音/ch/がかすかに発音されているように聞こえますが、2番以降では明らかにこの子音が脱落しています。これは詞のシニフィエに含みを持たせたというでなしに、純粋な技術的な問題、歌唱上の聞こえを重視した結果として、流れを妨げる子音を敢えて脱落させて歌ったということなのでしょう。パロールを対象とした純粋なテクストロジカルな解釈方法として、「わたしのいかり」と読み解くことは可能にせよ、とりもなおさず「光」でもあるらしい。