人間は、思い込みが強い生き物です。
いったん思い込むと、自分の思考に合致する情報やコミュニティを探すので
その思い込みは、ますます深くなります。
私も、慈恵医大第三病院に入院するまでは
キリスト教系原理主義の考え方に染まっていました。
2008年8月に慈恵に入院して上出先生に出会うと
「中庸」という仏教的概念を教わり
一気に風穴が開きました。
私は退院した日に東京都のシェルターに入所し
シェルターから出るとすぐに、初めてのお墓参りに行きました。
お墓参りは、新興宗教の教義では禁止事項でした。
坂根家のお墓は、臨済宗のお寺にあります。
離婚を決意した私は、ご先祖様にその件を報告し
「坂根家に戻って、坂根家を復興します」とお誓いしました。
2008年8月のことでした。
初めてご先祖様にご挨拶した日から4ヶ月後の2008年12月には
離婚が成立しました。
私が離婚の調停を申し立てたのに対し、元夫は同居の調停を申し立てたので
こじれて長期化しても不思議ではない状況でしたが
無事に離婚できたのはご先祖様の守護があったからだと思っています。
サイコパス男性との離婚はとても難しく
裁判にまで発展するケースが多いからです。
その後、2009年5月に森田療法センターに入院することになりますが
森田療法は禅の教えの影響を受けた治療法でした。
坂根家の宗教である臨済宗には禅についての教えがありますが
禅の影響を受けた森田療法を受けることになったのは
坂根家のご先祖様のご意向だったのだと感じています。
2008年8月にご先祖様と繋がってからは
ご先祖様からのご加護としか思えない幸運な出来事に恵まれるようになりました。
今では藩主様のお墓参りも月に1度させていただいています。
ほかにも、15世紀に藩主様とご先祖様が活動していた場所が埼玉県にあるのですが
その跡地にあるお寺を訪れることもあります。
建造物のうち、赤門と呼ばれる門は15世紀のものが当時のまま残っているのですが
私は、その場所で15世紀の藩主様とご先祖様との対話をしています。
森田療法センターを退院してから、私は心も体も強くなりました。
1ヶ月の短期入院でしたが
外界から遮断された環境で禅の教えを体得することができたのです。
キリスト教系原理主義の要素(白黒思考)を解毒できたという感覚がありました。
その状態を維持したいと思い
上出先生が主宰するアトピーカフェに出向いて勉強したり
自分の体験を語ったりしました。
アトピーカフェへの参加は、疾病利得を手放すことの難しさや
どのように手放すことができるかについて考察する機会になりました。
「アトピーカフェ」の参加者の前で森田療法の話をすると
上出先生からは「月に行って帰ってきた人の話みたいだなぁ」と言われ
そのお言葉がとても印象に残りました。
「月に行って帰ってきた」のは自分のためではあるのですが
同時に両親を支えるためでもありました。
森田療法センターを退院した2年後の2011年に
私は、うつ病になった母を支えるという役割を担うことになりました。
この時から10年間、私は手紙や花を贈る以外に
海外に行って母の心を癒すのに役立つものを探すこともしました。
24歳まで電車の乗り換えができなかった私にとって
一人で海外に行くのは大きなチャレンジであり、成長の証でもありました。
私は、森田療法で手にした力の一部を、母のために使いました。
母とは、手紙やメールのやり取りができるようになりました。
母は、私との2011年の約束も守ってくれています。
森田療法で禅の教えを体得し
自分の力を両親のために使うようになってから
私には「自分の人生が軌道に乗った」という感覚があります。
「坂根家の本流に戻った」という自信が
心身の安定を生み出したのだと考えています。
仕事でも大きなチャンスに恵まれるようになりました。
先祖供養の観点から考えると、親は「将来ご先祖様になる人」です。
私自身は、「将来ご先祖様になる人」を尊敬し、大切にしたいと考えています。
今後、両親が他界したら「親の供養」へとステージが変わるわけですが
他界してしまったら話すことや抱きしめることができず
「感覚的にメッセージを受け取る」という難しい作業になってしまうからです。
人間は年を取ると頑固になったり、子ども返りしたりしますが
若かった両親が昔に注いでくれた愛情を思い出しながら
両親への礼を尽くしていきたいと思っています。
※出典URL: https://morita-jikei.jp/therapy/gallery/

















