ただのアニメであって、ただのアニメではない。これは僕たちが生きてきた使命の証なんだと思う。作品のテイストを残しつつ、謎の回収をしっかりやっています。単純なメッセージだがこの言葉に尽きるのではないだろうか、「過去に打ち勝たないと、前へ進めない」
改変ともとれるべく、変貌を遂げたエヴァがここまで正統性をとれた作品になっていると、徐々にシンエヴァは認められるだろう。時間はかかるだろうが。この25年はエヴァと共に生きてきた。呪縛とさえ思えたこともあったが、決していい事ばかりじゃないがいまは解放された気持ちだ。
これは終わりなんじゃなくて、すべてのエヴァのない世界の始まりなんだ。これからが新世紀の幕開けなんだ。ゲンドウは庵野さんで、シンジは観客者自身だったのかもしれない。終わってみると、この作品と共に過ごして、いっぱい傷ついてきたなと率直に思う。
しかし、日本は不思議な国だと思う。面白い国民性だ。特筆すべきは、各キャラクターを描ききっている点にあるように思う。登場人物の内面がより明確に、輪郭が内面奥底にあるものまで描かれている。
またエヴァが求められる世界が来るのか、それによってまたアナザーストーリーや、新解釈はできるだろうが、もう全部現時点では書いたように思われる。
結局は人の幸せってのは、いい人と出逢うかに限られるのかもしれないと思う。舞台劇にならず、しっかり登場人物の考察ができていたように思う。エヴァの物語は、失敗者たちの話になってしまっているから、そこからどう立ち上がってきたか、皆がそれを体験している。皆が影を抱えながらも前を向こうと必死に生きている話があるから見ていて心地いい。
庵野さんがいかにシンと向きあったかがわかる。いかに、新しいものに追究したのか、新世紀としたのかがフィルムにでている。作風としてどちらに傾いたとしても、恋愛、内面、バトル、どれに重点を置いて書いても、どれにも批判する人は一定率いる中で、とにかくこの作品の受け止め方がよかったと思う。絶望する物語ではなく救いの物語にしたことは、英断だったと感じる。
マリ単体だけでもアナザーストリーとして、エヴァを作れそうな気もします。エヴァを通して、いつしか人は、生きる答えをエヴァを通して求めていたように思う。たとえどのような現実が待ち受けていようと、強く生きていくのがやっぱり人としての答えだったんだ。希望のある最終回だったと思う。エヴァっぽいという人もいるが、僕には、新たなエヴァ感が強くて、新たにつむぎだしたエヴァ、新エヴァっぽいといえると思う。
映画版を通して考えると、Qがもっとも物語的に気分が落ちる作品が興行的に成功していてよかったように思う。何度も繰り返されるシーン、音楽をエヴァだけはまた見たいと思わせてくれる。庵野さんの十八番の爆破シーンはもう後悔ないくらい見れたのはよかった。
TVシリーズのエヴァだけでも凄いのに、クリエーターとしての本能か、それに満足できず新たに物語をつむぎだしたのは作品として昇華できたのはすごいことだ。
第3村のリアリティを出すため、様々な工夫をされている、まず、カメラアングル、そして自然描写、背景画、そして、生き物、人、建物など、リアリティに感じるものを、すべて木の質感を見せるなど工夫をしている。リアリティを出す為に近代的な建造物を排除している。他の村々と交流があるようだがどういう風になっているかすこし気になった。それらすべて、客観的により見せるために、最終戦初号機と第13号機と闘ったときも、その光景さえ、箱物としてよりエヴァの世界観にリアリティを出すことに成功している。3Dよりにしたり、実写だったり、映し方を変えているが、それがエヴァだから観客がなれているから、違和感に映らない。むしろ現実とリンクすらも成功している。ロボットアニメといいつつ、人間ドラマ、これがエヴァたる由縁は何だろう。巧みな心理描写、掛け合いの暗号のような意味深な語句、リアルなロボット描写、その到達点がすべて高みにあるから、人は見ていて圧倒されてしまうのだろう。グロテスクな描写も一役かっているだろう。
従来のロボットアニメなら主人公とラスボスの機体しか、特別感その人だけの圧倒的なパワーバランスになっているが、エヴァでは使徒や他のエヴァシリーズに同等の力関係を築いて見てる側に画面に引き込まれるように計算されている。
加持さんが脇役からメインメンバーとして、重要な役割になっているのも、ストーリー展開として面白い所だった。自分たちが撮影に使用していたのも抽象化するあたりもエヴァらしく、より世界観を現実に近づける役割を果たしている。
シンジは心が弱いと思われがちだが、リアルに考えるとシンジが普通だろう。解読困難な謎もいつもおいてくるのがエヴァ、またエヴァができたとしてもまた、伏線、暗号語彙がでてくる無限ループにいざなわれるだろう。建物の描写も古さを取り入れたのも新しい試みだったと思う。
劇場版を始めるにあたって、庵野さんが語っていたことはこの最終で完遂できたのであろうか、当初からの思いを越えたところに思いがいってしまったように感じた。それは悪いことではなく、アニメーションの先頭に立つものが抱く感情なのだろう。だれか聞かないのだろうか。
ラストシーンはシンジが成長した未来だったのか、願望それともパラレルワールドだったのか、DSSチョーカーをつけたままだったし、そこになにかしらの意味を置いてきたのだろう。何も心配いらなくなった未来だと思いたい、マリが「言うようになったわ」といったから未来であることに違いはないと思うのだが、大地が復興した未来に違いはないと思うのだが・・・。大地が浄化された世界で、セカンドインパクト爆心地行く過程も機内のシーンですっとばしてるし、まあそのほうがおもしろいか。しかし、ゼーレのジジイどもは、自分たちがいない、フォースインパクトまで考えてたって、ゼーレのシナリオはほぼ完ぺきすぎる。綾波タイプの監視が薄かったのは少し気になったが、クレーディトの情報が間接的に入ってくるので、綾波は見ておきたかったのでうれしい登場だった。
エヴァに関しては求められるものが多いように思える。定番のBGMなど、求められるものを表現するのに悩まされたと思う。
Qでの印象がすごく内面的でテンションが低調ぎみにひきづられてか、シンでのエヴァに対する見方が観客は少し厳しめだったように思う。内容からすればもっと興収いってもよかったんじゃないかと思われる。
救われることを願う少年だったシンジがいつしか人を救う側の人間になったシンジの成長をみれたのはよかった。誰しも失敗を糧にして次の場所を目指すことを、自分の心のうちでも望んでいたのだろう。人類を補完したかった大人たちは、どこかで傷つくのをおそれていた大人だったのだろう。現時点ではエヴァのなすべきことはすべて完遂しているのだろう。なぜそんなにマリはシンジを迎えにいきたかったのか、ただの興味か、過去か、トリガーとしての興味だけだったのか、あいたい人に会える喜び、新たに出会える喜び、求められる喜びを作品の根底に落とし込んでいる。
ニアサーをおこした張本人に対して、誰もシンジを責めなかったいま生きるだけで精一杯、世界の責任を一人の少年に負わす気はみんななかったのだろう。そんなやさしさもある。人は立ち上がるときは独りでつらくても立ち上がらないといけないが、一人ではなくそのあと、一緒に歩んでくれる人がいる、それだけで十分だと作品を通して伝えているような気がした。アスカとの関係性も生きていくってそういうことなんだろう。思えば、本当にタイムワープしてきたような変な感覚になる。
最後に空撮でこの世界も案外悪いもんじゃないといわれている気がした。エヴァと共に青春を生きてきて、やっと青春が終わったのかもしれない。少年の神話はここに完結したのだろう。エヴァと共に生きてきた時間を無駄にするかそれとも逆にするかを託されたのは自分たち自身だ。
人々に感動を与える作品を作る人たちって本当にすごいと思わされた作品。
もう一回、生き方を考えさせられた作品。
作品の最後には、喪失と寂しさが同居するがそれも致し方のないのかもと思えた。
この作品に出会えたことでやっと大人になれた気がする。
自分の考えの範疇を越えた作品。 長かったとても。
オタクが満足するだけの世界を描くことをしなかった最高の作品。
もう一度、生きる勇気をくれた作品。 ありがとうエヴァンゲリオン。
